どうせわたしは愛するひと | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

みなさま
どうぞ
ご自愛ください

はみです
晃ちゃんも

今まで
休めなかったひとは
休みましょう


そして

今まで
働かなかったひとは
働いてみませんか








話は変わります
繋がるけれど( *´艸`*)


心屋塾では
その人が反応してしまう
反応の種を
地雷
と言っているようで

反応の種である
地雷を踏まれると
感情が外に流れ
自分の心の根っこが
見えてくるので

地雷を踏むひとは
その人にとっては
とても大切なひと












仲間とお話しているうちに
地雷を踏んじゃうんじゃないかと
すこし怖がってるわたしを見つけた

地雷を踏む

ということは
わたしのなかでは
「怒らせる」こと
(どうやらわたしの場合、怒られるではないみたい)

そこから

わたしは
旦那さんを怒らせるひと

が出てきて

それはどこから?

って思ったら

だって
お父さんを怒らせる子だったから

が出てきて

お父さんを怒らせるのはなぜ
から

あんなにわたしを愛してくれてるお父さんと同じくらい
わたしはお父さんを愛せていないから

という幼い頃のわたしが出てきました
「わたし悪くないもん」
と言いまくってた頃のおチビちゃん



「どうせわたしは愛される」
すんなりと
言えるんです
今までも言えてきたんです
わたし

その通りだって


だけど
「どうせわたしは愛するひと」
と言ってみると
とたんに心が
(゚Д゚;≡;゚Д゚)アワアワしはじめ
となるんです

愛が足りない=悪いこと
だと
ずーーーーっと
今まで信じてきた様子です

おチビちゃん
悪いことではないもん
だったねー
いい子だよ
キミは( ´ー`)フゥー...










そう言えば
ギターで弾き語りが好きな父が
時々歌ってたなぁ
「大きな花と小さな花が並んで咲いていた〜」♪

花のメルヘン
という曲

大きな花は美しくて人気者でいつもまわりにたくさんのひとが見に来て楽しくて幸せそう

小さな花はひとりぼっち
だけどいつも心の中の太陽が輝いていて幸せだと

どちらの花も愛の息吹を浴びて
春の想いに胸膨らまして咲いている

という歌です




大きくても
小さくてもいい

わたしだけの愛がある
わたしにしか出せない愛情がある

包み込む愛も
内から温める愛も

どちらも
愛に違いはない

愛されること
愛すること

意識して
そう
わたしは愛するひとです

まずは
自分を愛そう

みなさま
ご自愛ください

わたしも
わたしを愛します












気付いたときに


今まで
世のため
人のためと
走ってきて
止まれなくなっている
もう
「愛されるひと」
になっていい人たちには
休んでいただいて

今まで
そんな人たちに
愛され守られてきた
もう
「愛するひと」
になっていい人たちが
働いてみる

というのは
どうだろう

と思ったのですが
どうだろう

まだ
どういうことか
わたしにも
わかりませんけれど


















センサイナココロ
ダイタンナココロ
ドチラモオナジココロ