今日、渋谷の街を歩いてたらすごくしんどくなった。
このコロナ禍であっても、渋谷に出ると色んな人が歩いてた。
ファンキーなファッションに身をまとった人や、女子高生、スーツを着たサラリーマン、すっごくスタイル抜群の人、、、、
そう。このスタイル抜群の人が私の目の前から颯爽と歩いてきたのがしんどくなった原因。
それも、一人じゃなくて、こういう日に限って、何人も何人も私よりもうんと細くて綺麗な人が歩いてくる。
あーーーーー来るんじゃなかったと思った反面、これも耐える練習だって自分に言い聞かせて歩いてた。
最近私は、自分自身にミッションを課して、毎日それを達成するために生きてる。
そのミッションは、お昼ご飯に今まで食べなかったもの(ハンバーガーとか定食とかカレーライスとかパスタとか)を食べて、極力歩かないようにすること。
そんなの簡単じゃんって思った人はどれくらいいるだろう。
そんなの普通にしてたらできるよって思った人は?
逆にそれがミッションって幸せじゃんって思うかな?
今の私にはこのミッションを達成することは、学校の成績でストレートAとるよりも、苦手な物理を理解するよりも、何百倍も何億倍も難しいことなのです。
自分を被害者扱いしてるわけじゃないし、悲観視してるわけでもない。
これは事実だから。
摂食障害(拒食症)を発症して何年になるのかな。4,5年かな?
最初は炭水化物が怖くて怖くて、恐怖でしかなくて、お米一粒でも怖くて。。。小麦類なんてもってのほか!って感じだった。
けど、家族や親友の支えもあって、お米一粒から、親指くらいのサイズのおにぎり、そこから普通の人が食べるサイズのおにぎりが食べれるようになったし、パスタもパンも食べられるようになった。
でもそれと反比例するように、食べただけのカロリーを消費するために歩く量がどんどん増えていって、ひどいときには5万歩毎日歩いてた。
そこから歩く量は少し減らしながらも、お昼ご飯は毎日決まったお弁当か、低糖質のパンを食べ、夜ご飯は毎日違ったものを食べられるようにまでなった。
色々あってここまでできることが増えたわけだけど、私にとって一番の難関はお昼ご飯を食べて極力運動せずに夜ご飯もいつもどおり食べて3食きちんと食べること。
今私は、それにチャレンジしている。
毎日死ぬ気で。
別にお昼ご飯抜いて朝と夜食べてれば死なないんだからいいじゃんって、何百回思った事か。
歩いてたって、誰に迷惑かけてるわけじゃないんだからいいじゃんっとも何回も思った。
けど、それじゃダメなんだって気づき始めた。
生きるってつらいことばかりだと思ってたし、何回も明日が来てほしくない、時間よとまれって唱えた。
でも誰かが言ってた、辛いって感じるってっ事は生きてるっていう証。
逆にうれしいことだって生きてればきっとある。
嬉しいことって何だろう?って考えたとき、私の理想のそこには必ず食がある。
不思議だな―。食は今の私にとっては苦でしかないのに、理想の私の中では幸になってる。
そんな理想があるからこそ、そんな夢があるからこそ、頑張って治すしかないの。
治せるのは、心療内科の先生でも、カウンセラーの先生でも、家族でもない。
自分自身。
自分が変わるぞって言う強い意志と覚悟を持っていないと一生つきまとってくるこの病気。
いくらアドバイスをもらっても、歩く歩数を減らせるのは自分であって、食べるという行為をするのも自分しかいない。
これは孤独な闘いなんだなって最近痛感してる。
鏡を見て、毎日、どんどん顔が丸くなっていく自分が嫌になる。どんどんお腹に脂肪がついていく自分が死ぬほど、泣きたくなるほど嫌になる。
けど、大事なのはそこじゃないって言い聞かせて。
綺麗ごとに聞こえるけど、本当に大事なのは中身。いくら外見が良くても、中身がだめなら、人は離れていくし、何もうまくいかなくなる。
今私が直面している試練は、将来の私の大きな糧になると信じて進むしかない。
毎日本当に毎日、涙を流さない日はないけれど、それでも、完治のために私は前だけ向いて進んでいこうと決めた。
いつか、渋谷の街を歩いてても、自信もって歩けるようになるために。
いつか、笑って友達や大切な人と心の底から美味しいって思える日が来るように願って。
今は耐える時。我慢の時。
将来、たくさんの動物に寄り添える素敵な動物看護師になるために。
1歩どころか、0.1歩づつくらいしか進んでないかもしれないけど、何も進まないよりはましだよね。
将来の私が今自分の中に起きている出来事を笑い話にできる日が来ることを願って。明日も。