夢は山あり谷あり? (その2) | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

「強み」と「思い」の言語化で、「野望実現」を引き寄せます。 ホンマルラジオ愛知局【TOMOKO のあなたの野望を聴いてみ隊】パーソナリティ

もちろん、突然「うつ」になったワケではありません。1~2年前からそういう状態だったのですが、医者に行って「診断された」のです。


母と祖母を同時に介護する事になったことが、それほど特別な事情だとは思っていませんでした。


同居していて、二人同時に…となれば大変ですが、祖母はけがをしてすぐに叔父たちが入院させた(その後、老人保健施設に)ので実家に通い、母の様子を見ながら祖母の面会&雑用をする、という生活が2~3年続きました。


母を連れて美術館やお芝居、ミュージカルなどに行ったりデパートに行っておいしいものを食べたり(←会計は母)…むしろ、「充実」していたと言っても良いかもしれません。


ただ違うのは、母が猛スピードで「壊れていく途中」だった事でした。


同じことを何度も繰り返し聞いたり、話がかみ合わなかったり、食事中に箸が使えなくて手でつかもうとしたり…注意したり否定したりしないようにするうちに小さなストレスが積み重なって澱のようになり、それが固まって、また降り積もって行く…。


だんだんと子供のようになっていく母を見ながら自分では気づかない間に、心も体も凝り固まって、何が正常な状態なのか、の判断がつかないようになっていたのです。


そのうちに、家に帰ってからも近所の方から電話が入り「鍵を無くしちゃったみたいで、おうちに入れないってお母さんが来てるよ」と連絡が。また家に行って、母をひきとりに行き、お礼を言って母を家に入れた後に、母が歩いたと思われる道のり(当時プールに通っていたのでその道)を3往復ぐらいして鍵が落ちていないか探したりもしました。


自宅に帰りついてから、玄関で倒れこみ動けなくなった事もありました。夜中にどうしようも無くなって、箪笥にあたまをごんごんぶつけたこともありました。


高速に乗っているときに、ダンプカーが前を走っていると「このまま突っ込んで行ったらラクになれるかなぁ…」と思った事も一度や二度ではありませんでした。ただただ何もできずに、ソファに座って一日中電源の入っていないテレビをじっとながめていたこともありました。


「気分転換をすると良い」といわれますが、「気分転換」をするのにも相当なエネルギーが必要なのです。元気になりたい! という気力がないと、人は元気になることができません。元気になる、とか、笑う、とか、そういう事すらもできないほど疲れきっていました。


「死にたい」とかではなく、ただ消えて無くなりたかったのです。夜寝て、朝起きたら空気みたいになってたらいいなぁ…といつも思っていました。


とにかく、しんどかったのです…。


「夜明け前が一番暗い」といいますが、その頃はそんな言葉も、何の慰めにもなりませんでした(もちろん、今はその言葉で勇気百倍になります!)。自分は違う、関係ないと思っていたからです。「夜明け」が来ることすら信じられませんでした。


この記事でも「こんなに辛かった…」と書いてはいますが今振り返ると、「あの当時でも、素晴らしいことがこんなにたくさんあったんだ…」と感謝の気持でいっぱいになります。同じ出来事でも、フォーカスする部分が変わると、受け取り方が全く違うことに気づくのですね。


今もし、当時の私と同じように「真っ暗な暗闇の中で、出口を探す元気も無く、出口があると信じることもできず、ただうずくまっていることしかできない」というような方があったらお伝えしたいです。


信じようと信じまいと、出口は必ず存在するし、必ず朝は来ます。それだけ、がんばって信じてみてください。


ゆっくりで良いと思います。自分のペースでいいんです。もし、伏せていた顔を上げることができたら、次は立ち上がって見てください。立つことができたら今度は歩いてみてください。そこまでできるようになったら、うつのカウンセリングやお医者様のカウンセリングを受けに行くことも解決の選択肢に入れてみてください。


きっと、何かのシンクロが起きて「一筋の光」が見えてくると思います。


私は数年後に劇的な展開があって、そこから立ち上がる事が出来ました。


<続く>