娼婦とロック 時々カウンセラー  ー不自由から自由へー

娼婦とロック 時々カウンセラー  ー不自由から自由へー

世界は少しだけ、愛しにくい…


生きづらさと、解離とともに生きています


それでも


ときどき 世界は 美しい




そう、信じたい



だって、空は青いし


光だって、ほらね

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 僕は、大学を辞めた。




 残りの人生を亮と過ごそうと思った。馬鹿げているかもしれないが、そう生きる事しか僕には出来なかった。




 それから僕の狂気に火が点いた。暴力の連鎖、抑圧からの解放、暗闇での自分を慈しんだ。


 昼は工場で働き、汗を流し、夜は孤独を拭い去るため、拳を振り上げ、コーラの空き瓶を気に入らない奴の口に押し込み、エンジニアブーツで蹴り上げた。


 脳裏には、いつも父親の怒りに歪んだ顔が浮かんでいた。




  「死…」 誰の?




 誰でもかまわない。この苛立ちや焦燥を拭い去り、この動悸と冷や汗を止めてくれるなら。



 僕らの暴走を社会は決して許さないだろう。許してほしいとも思わない。何故なら、俺たちも決して許しはしないから。



 もし、この暗闇を裁く事ができる物があるなら、それは「愛」だ。しかし万人にとっての、一般論としての愛じゃなく、僕達にしかわからない、身勝手な愛だ。何故なら不変で あるとか無償であるとかの類の愛なんて、匂いも嗅いだ事がないし、まして、手触りもわからない。




 亮も同じだった。僕らは社会に出て「普通の人々」と暮らすにはあまりに知らない事が多いし、あまりに知り過ぎた事がある。答えは誰も知らない…。








 二人はいつも一緒だった。


 薬でぶっ飛ぶ時も、病院に行く時も、暴力団の事務所に拉致されて、殺されるか、下部組織になるかを選択させられた時も。永遠だ、二人なら楽しめる。僕は信じていた。そんな時に亮は会社を辞めた。



 僕は自分の規範を、自分の分身を、自分の魂をなくしたかの如く狼狽え、なんの根拠もない思い出にすがった。当然、何も変わりはしない。また自らのカオスに迷い込んだ。




 光か暗闇か、正義か悪か…自問自答の日々が続く。








 渋谷に行ってみる。何も感じない。


 あの頃あんなに楽しかった日々も色褪せ、誰を見ても同じにしか見えない。奇妙な連中が蠢いているだけだ。





 「亮、少なくとも、ここの連中に色を与えてたのはお前だよ、見てみろよ…。みんな真っ白さ。」






 お前は唯一お前だったよ。俺はお前になりたかった。けどクールじゃない。



 ナイフをそっと腕にあて、素早く引いた。脂肪の白から直ぐに赤い血が溢れる。


 心臓は穏やかに、僕の目は何もみていない。


 僕は亮のフォロワーじゃない。フォロワーじゃないからこそ、何者でもない。









 「名前のない怪物…」 今から何年か経っても僕の中の怪物は決して変わらない。光の届かない暗闇で息を潜めている。僕がいくらスリーピースのスーツを着て、穏やかにデスクワークに励んだとしても、怪物は死なない。





 亮、お前はどこかできっと生きている。わかるんだ。




 お前の中の怪物は死なない。いつかどこかで、どうしてもお前に伝えなければならない事が見つかったら、お前を探すよ。どんなに、どんなに探しても見つからなければ、海に向かって叫ぶよ。






 「この世界には、まだ ¨何か¨ があったよ」って。






 お前はとっくに知ってるかもしれないなぁ。


 けれど伝えなければ、それは自らに伝える事だから。俺はお前を愛していた。俺は俺を愛せない変わりにお前を愛していた。





 研究は粗方やり尽くした。


 同期の奴らは皆、ノーベル賞を本気で狙ってるような頭のおかしな連中だったから、研究内容以外に話はない。




 僕はアルバイトを探した。「高村製作所」なんの根拠もない、時給も高くないけれど、アパートから近い。



 そごうで、安いネクタイとワイシャツを買い、面接に行くと、少し小太りな、眼鏡をかけた社長が、仕事の内容を説明してくれた。





 「では、明後日からよろしく」





 作業服と安全靴をロッカーにしまい、事務所を出ようとした時、工場から甲高い怒声が聞こえた。若い日本人とアジア系外国人が喧嘩をしていた。





 「やめろって!三島!」




 誰かがとめていた。三島亮…彼との出会いだった。





 亮はほとんどクールだった。けど、なぜ?と思うところで、いきなり激昂した。けれど嫌な奴じゃなかった。気になることはいくらかあったけど。



 例えば、笑っても目が笑ってないところや、一日に何度も聞かされた口癖や、その他いくらか。





 亮は中学を出て5年間この工場で働いていたから、なんでも知っていた。




「ミラクルドリルってのは革命的だよ、ダイヤのコーティングがされてて、めちゃくちゃ硬いんだ。だけど1本3万するんだぜ!硬い物は落としたら欠けるから絶対落とすなよ。」




僕は硬さを確かめるため、コンクリートの床に向かって落としてる最中だった…。






 何日か働いた週末、亮が僕を渋谷に誘ってくれた。


 何度か一人で行った事がある。けど人が多すぎるし、質の悪そうな連中がいつもいたから、あまり乗り気にはなれなかったが、せっかくだから、二つ返事で行く事にした。


 夜9時、渋谷、ファイヤー通り。亮は電話ボックスで受話器を持ち誰かと話している。5分ほど、切ったり、掛けたりしていると、僕を取り囲むようにどんどん、いかつい連中が集まってきた。



 やばいよ、亮!チームの奴らがいっぱいいるよ!どうやって逃げ出そう…。考えていると、やっと亮が僕の方へ歩いてきた。




 あれ?なんでこの連中は亮に頭を下げてるんだ?呆気に取られていると、彼は言った。





 「こいつら俺の仲間。ブラッズってチーム。知らねえ?」




 知らないよ、お前っていったい?




 「なんだか、俺が仕切ってるんだ、こいつらとこの街、お前も仲間!」





 人懐っこい、いつもの笑顔。その時点で軽く50人はいた。不思議過ぎた。昼間、あんなに寡黙に働いている彼とは思えなかった。そのギャップに困惑した。




 「さぁ行こう。」



 一声で集団は動く。人波は割れ、進む度に人数は増えていく。



 センター街で、御一行は休憩した。誰かが僕らに缶コーヒーを手渡してくれた。ありがたい、喉がカラカラだった。



 突然、亮は、自分の身の上を話はじめた。ゆっくりと。壮絶だった…





 9才で施設に入り、あらゆる理不尽を飲み込み、自分の中に狂気が芽生え、そしてそれは今も宇宙の様に膨張している事。


 けれど膨張してどうなるものでもない事。


 この世界に光と闇がある事。


 いつか全てが消えてなくなってしまえばいいと思っている事。


 その全てとは、自分か、自分を取り巻く物かどっちなのかを考えている最中である事…。




 愕然とした。目眩がした。目の前に自分がいる。容姿や経験こそ違えど、まったく僕だった。



 全て僕だった。わかりすぎるくらいわかった。自然と涙がこぼれた。



 故郷に何十年ぶりに帰ったような、そんな気持ちかもしれなかった。




彼は言った。




 「同情か?」





僕は答えた。





 「ありきたりな話が退屈で眠くなっただけだよ。」




彼は笑った。


 僕は家を出て、親が勝手に相続させた自分名義のマンションで自活した。

 アルバイトはなんでもやった。とにかく生きるためだ。汚い事から危ない事、あとは憶えていない。





 出席日数が足りないのは、休みの補習とレポートで補った。


 レポートは高校のレベルを軽く飛び越えて、かなり専門的な分野に達していた。


 地層、水脈、地耐力、表層、振動の電波、土密度、円弧滑り、単振動と複合振動。これに、地表面にある構造物の特定振動周波数を考慮して、共振動した場合の物理力で工作物がどう変化するかをレポートした。


 サンプリングには1年かかった。けど、後にこのレポートのおかげで、某大学に無事合格できたのだから、まんざらじゃなかったんだろう。


 個人的な欲求から始めた研究は、ある企業体が出資してできた。研究機関で今でも資料として保管され、関東地方の地下鉄工事や、大型給水管のシールド工事を行う際、ハザードマップを作成するのに役立っている。






 大学も特には楽しくはなかった。




 山の手線沿線のこの街は、東京の中でも商業地域で企業ばかりが集合していたから、遊ぶところもない。



 唯一のお気に入りは、貿易センタービルの庭園屋上から見る夕日だった。


 風が心地よく、夕日のオレンジは本当に楽園があるかのごとく錯覚させてくれた。




高校1年、15歳。偏差値75、全国統一模試92番。



限界だった…。



その頃には家にもいたくなかった。




小学校2年生の時、睡眠薬を飲んで自殺未遂をしたことがある。


単純な理由だ、居場所がなかった。






慢性的な暴力、母親の悲観主義、差別。


7歳で立ち向かうには過酷だった。




意識不明の時、モノクロの世界に真っ赤な金魚が泳いでいた。捕まえられなかった。それは何を象徴していたのか?今でもわからない。



それから半年後、文化包丁で自分の腹を刺したけど、刺さらなかった。


血が流れたが、不思議と気分は落ち着いていた。




高校にはほとんど出席していない。テストも模試以外は受けた記憶がない。









僕は家を出て、親が勝手に相続させた自分名義のマンションで自活した。


アルバイトはなんでもやった。とにかく生きるためだ。汚い事から危ない事、あとは憶えていない。







9月から新生活が始まりました。



実は5月から計画していたこと。



新生活が始まる数日前まで仕事をし、そして仕事を辞めた。







退職を迎えた日、帰り際、上の者から呼び出され、事務所へ向かった。



所長から、今までありがとうというお礼と、ポケットマネーで買ったであろう、菓子折りをもらった。





こちらこそ今までありがとうございました!ですよ。。。Mさん。。。




ここでは、いろいろお世話になったなぁ…。いろんな人がいて、みんなカラッとしてて面白い職場でした。



帰り道、ちょっぴりセンチになりながら帰宅し、早速お菓子を出してみると同時に手紙が入っていることに気がつきました。





はぁ…。なんてこった…。





その手紙には、過酷な労働させて悪かったとか、いつもサポートしてくれて助かったとか、少しの間ゆっくりしてね、とか労いと感謝の気持ちが綴ってありました。

Mさんが私に書いてくれた言葉、そのままMさんにお返ししますよ。。。


本当に、こちらこそお世話になりました。

ほぼ休みなしで出勤してるMさんこそ、少しはゆっくりしてくださいね。

だけど、立場上それができないMさん。

私は、なんて言葉をかければいいかわかりませんでした。





メールでMさんに、お菓子のお礼と手紙のお礼と、控えめな労いの言葉と感謝の気持ちを送り、次の日から新しい生活に向けてシフトチェンジ!!


新しい生活が始まるまでの数日間、朝5時過ぎに起き、クロスバイクで街をすっ飛ばす。


朝の新鮮な空気を朝ご飯にし、ほどよい疲労感と汗ばんだ体をシャワーで洗い流す。


日中は適当に予定を入れ、夜はゆっくりお風呂に入り、夜は部屋でごろごろし、時間になったら眠る。

束の間の自由Days…。


そして、新生活がスタート。



9月からたった3ヶ月間で、5つの検定試験を受けるという無謀な目標の下、授業と勉強漬けの日々が始まりました。


主に肉体労働や接客をしてきた私の頭は錆びついていて、なかなか勉強についていけないし、解離が邪魔して集中できない。



だけど、やらなくちゃ。。。


ここでやらなかったら、私にとって無意味な期間になってしまう。


勉強のし過ぎで、試験前日気持ち悪くなったり。なんでこんな簡単な事が理解できないのか…と戸惑うことも多々あり。


だけど、この貴重な期間を私は大切にしたいと思っています。


元々、勉強ができない私。

だから、人一倍努力しなきゃ。ってなわけで。

諸事情により、全く興味関心のない分野の勉強をしている日々です。



お風呂にまで問題集やテキストを持って入って、家では一切テレビをつけることもなく、世の中で何が起こっているかさっぱりわからない。


















先日、勉強に疲れ果てて、近所の公園へ散歩に出かけました。



ちょうど、夕日が沈むくらいの時刻でした。


風が冷たく、でも、目の前の景色は綺麗でした。









最近、自身の今後に向けて、いろんな人と話す機会が増え、とてもありがたいです。


人との出会いって面白いなって。。。




10年前に少し関わった、ある会社の代表取締役とまた関わることになるなんて…(笑)


社長と二人きりで話す機会があり、思い切って、


「私、あの時の○○です。もう10年くらい前のことですから覚えていらっしゃいませんよね…」


そう切り出したら、


「覚えていますよ^^言葉、治りましたね^^」って。(そこかいっ!)




10年前、ここの土地の方言になじめなくて、京都弁のイントネーションだったんです。


そんなに深く関わった方ではなかったんですが、何故か覚えててくださって。


それが、すごく嬉しかったです。本当に。すごく嬉しかった。




しかも、社長から、


「あの頃と、軸がブレてないよね^^」と。(いい意味で)


そんな事まで覚えてくださってたなんて(涙)





さてさて、そして今後、私はどんな大人になっていくんだろう…。


(気分はまだ中学生…)



ある方が、私にアドバイスをくださいました。



働きながら、勉強して、ある国家資格を取得したらどう?と。



今、勉強+そのことについて、前向きに考えています。