ずっと一緒に暮らしていた祖母の自宅介護を7年間やりきり
、無事に看取ることができ安心したのもつかの間、
末期の癌が発覚し、1年の闘病生活の末、
まるで祖母の後を追うかのように逝ってしまった母。
介護保険制度もまだまだ整ってなくて、
アルツハイマーや認知症の理解も浅かった当時、
人一倍責任感が強く、あまり弱音を吐かない母は、
すべてを一人で背負っていたように見えました。
5人兄妹の末っ子で、母だけ父親が違ったこともあり、
兄姉から辛く当たられることも多かったと、色々な話を聞いた。
生まれて間もなく他界してしまった父親の記憶はなく、
母にとって祖母の存在は、私には想像もできないくらい
大きかったんじゃないだろうかと思う。
誰にとっても、母親の存在はとても大きいのだろうけど。
祖母と母のつながり
母と私のつながり
私と娘のつながり
そこに何か
深く刻みこまれている
恒久的なものを感じる
自分がいる。
『母親というもの』を想うとき
そのつながりの中のすべてに
想いがめぐる。
母が亡くなってから
できなかったことや
したかったことがありすぎて
後悔もたくさんあったけど
娘が生まれたことで
できなかったことばかりじゃ
なかったんだって
むしろ、自分が思っていたよりも
はるかにできていたことがあったんだって
想えるようになって。
母親というものは
こんなにも
しあわせなものだったのかと
こんなにも
大きな愛をもっていたのかと
そして、子どもであることも
こんなにも大きな存在だったのかと
初めて、実体験として
感じられるようになった。
"「故郷」って、母さんのことでした"
ふと
帰りたくなる場所、
帰れる場所、
いつでも
待っていてくれる
受け入れてくれる
安心できる場所・・・
そして、
その場所があるから
離れたところでも
頑張れる
辛くても
踏ん張れる
そんな見えないチカラを
持っている
『母』という存在。
"いくつになっても人は人の子で
母親は永遠に母親のままです"
私も、
ずっと母と父の子で
ずっと娘の母親なんだ。
どんな人も、どんな母も、
きっとそうなんだ。
"母親に感謝できるひとは幸いです"
本当にそうだなって
その通りだなって想う。
私はあなたの子になれて
母親になりたいと想える
母のもとに生まれてこれて
本当に、ほんとうに、
幸せでした