自分の望みを叶えよう
自分を大切にしよう
自分を満たそう
自分を知ろう
自分を感じよう
ずーっと言っていることなんたけど
ずーっとやっていることなんだけど
なぜそれが必要なんだろう?
それはね
どんな自分にも
マルをつけてあげられるようになるため。
(マルっていうのは正しいってことではなくね)
自己肯定だとか
自己受容だとか
認めるだとか
受け入れるだとか
OKを出すとか
手放すだとか
卒業するだとか
色々、色々聴くけれど、
それをするのが
そもそも何に対してなのか
一体全体自分とはどういうものなのか
そこがわかっていなければ
そこがぼんや〜りとしちゃって
はっきり見えていなければ
まずどこにマルをつけたらいいのかが、
わからないよね。
どんな答えだって間違いじゃないし、
それで正解なんだけど
白紙の回答用紙じゃ、マルはつけられないの。
できてるからマルなんじゃない。
できないからってペケなんじゃない。
早いからOKなんじゃない。
遅くたってダメなんじゃない。
自分というものに
良いも悪いも、ない。
大切なのは
今、自分がどういう状態であるのかを
知っているということ。
何を観て
何を感じ
何を想い
何に反応し
何に喜び
何に悲しみ
何を避け
何を偽り
何を信じ
何を求め
何を欲しているのか
そういったものすべてと
真正面から向き合って
ああそうかと
これが自分なんだと
認識できてはじめて
そこにマルをつけることが
できるようになるのだと想うのです。
回答用紙が白紙のままってことは
答えがわからないということ
わからない、ということは
わかりたくない、ということ
自分自身をわかりたくない、
見ないように
目を背けているということ。
自分を好きになりたい、
受け入れられるようになりたいって想っているのに
目を背けていたら
マルはつけられない。
対人関係を円滑にしたいって願っているのに
いちばん肝心な自分とのコミュニケーションを避けていたら
相手と向き合えるはずがない。
自分がわからないなら
わからないでもいいとも想う。
でもだったらとりあえずでいいから、、
『わかりません』と書いてみよう。
そしてそこにマルをつけてみよう。
『自分とは何なのか』テストは
何回でもやっていい。
とにかく答えを出し続けてみよう。
納得するまで何度でもやってみよう。
どんな答えでも
その時、その瞬間の、大正解だから。
そして
その答えを知っているのも
そこにマルをつけられるのも
自分だけなんだ。
答えを出すためのヒントはもらえるかもしれない
どんなあなたでもいいんだよって言ってはもらえるかもしれない
けれど
本当の答えを知っているのは自分だけで
だから本当にマルをつけてあげられるのは
自分だけなんだよね。
どんな自分にもマルをつけようとすると
気づくことがある。
どんな自分にもマルがつけられるようになるっていうのは
どんな他人にもマルをつけられるようになるっていうことと
裏表なんだと。
だって片方だけがマルだったら
その時点で矛盾が生じるから。
他人にペケしている状態にもし自分がなった時
マルできないってことだからね。
だから、
誰かのしていることにザワザワしたり、許せなかったりするときは
自分がどこにマルをつけれていないのかを知るチャンスだったりする。
どんな人も、どんなものも、どんな状態だって
マルはつけられる。
そこに在るものは、そこに在る時点で、マル。
だからすべてに、マルをつけよう。
マルをつけると、違いが認められる。
そして、そこから次に進めるようになる。
だから、そこからはじめよう。
きっとそこから、どこへでも
行けるようになるはずだから。
自分を感じること。
それが すべてのはじまり。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日も笑顔あふれる一日を過ごせますように♪
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