4月10日。

羊水検査のFISH法の検査結果を聞きに行く日。


正直、病院に行きたくありませんでした。

行ったら、分かってしまう。

9/10……その数字が頭から離れたことはありませんでした。

結果を聞かなければ、擬陽性という希望にすがっていられた。

でも行かなければならない…。


この日を迎えるまで。
主人が何度も私のおなかをさすって、耳を近づけて胎動を聞こうとしていました。

この日も、出る前におなかに頭を寄せてきて、赤ちゃんを抱きしめるように、愛おしそうになでながら、気持ちの整理をしている…そんな風に感じたことを覚えています。

 

言葉少なに家を出て、病院について。

2時間前に番号を取ったのに、呼ばれるのが遅い…否が応でも不安は増してきます。

そして、私たちの番がやってきました。

 

中に入ると、遺伝カウンセリングをしてくださった医師と、両脇に若い男性の医師が二人、奥に女性の医師が一人、計四名の医師がいました。

今思うと、告知にあたり、どのようにすればいいのかを研修させるためにいたのではないかと思います。

一番偉そうな(と言うと語弊がありますが)先生以外、一言も発しませんでしたから。

 

 

医師から、結果を告げられる時が来ました。

 

「サンプルを取った50の染色体、すべて18トリソミーであることが確認されました」

「モザイク型ではなく、完全型の18トリソミーとみて間違いないでしょう」

「13トリソミー、21トリソミーの異常はありませんでした」

「性染色体も、問題ありません」

「男の子ですね」

 

わかっていたことでした。

それでも。

いろんな感情が押し寄せてきて、思わず涙が浮かんできました。

取り乱すことはすまい、と強く決めていたので取り乱さずに済みましたが、本当なら声をあげて泣きたかった。

 
でも、本当に泣きたいのは。
私じゃない。
私たちの決定によって、命をあきらめる私たちの赤ちゃんだ。
 
 
そこからは、18トリソミーの児についての説明を改めて伺いました。
 
多くの赤ちゃんは、12週までの初期流産で淘汰されている。
いま、生きていること自体が奇跡的な確率であること。
それでも、生き残った多くの赤ちゃんは、臨月まで持たずに死産となることが多い。
そこをくぐりぬけた先に生まれることができたとしても、1か月以内に死亡する可能性が50パーセントである。
1年以内に亡くなる可能性は90パーセント。
それも、心疾患など、生命を維持するのに大切な複数の臓器に非常に重篤な障碍があり、手術が成功すれば生きながらえることができる状況である。
知能についても、遅れる傾向にあるが、それ以前に生命を維持することができない可能性が高い。
この大学病院では、過去1例だけ、4歳まで生きた児がいるが、ほぼすべて短命である。生まれてすぐに息を引き取ることも多かった。
また、18トリソミーは治る見込みが非常に低いことから、積極的な治療を行わないことが多い。当病院でも、行うことができない。もし産む決意があるのであれば、まずは治療ができる病院を探すことからである。
治る病気なら、いくらでも治療をする。ただ、18トリソミーについては、完治することはない。それを理解してほしい。
21トリソミーであれば、生きることができるので迷うこともあると思う。ただ、13トリソミー、18トリソミーについては、そもそも生きることが難しい。
前向きに考えたほうが良い(この辺のニュアンスはこんな感じだった、程度です)
 
言外に中絶を進められているようにも聞こえました。
それほどに難しい病気なのだと。
私が、もし18トリソミーだと確定したら、中絶をする決意を固めていたのでそう受け取っただけなのかもしれません。
 
FISH法で出た速報なので、完全な結果を求めるならばあと2週間かかるが、この結果が覆ることはまずないでしょう
 
その説明を聞いて、中絶の決意を固めました。
散々話し合って決めたことです。
それならば、一日も早く行動に移すべきだ。
夫と目を合わせ、うなずきあって「こちらで中期中絶を行っていただくことはできますか」と聞きました。
大きな大学病院ですから、もしものことがあっても対応してくれるだろうとの思いもあり、お願いできるなら大学病院で、と主人と話し合っていたからです。
けれど、断られてしまいました。
事故があり、再研修をしているため、手が足りない。こちらの大学病院では、他で受け入れられないような治療のみ行っているとのこと。
 
説明をしてくださった医師からは、分娩予約をしている病院なら対応してくれるはずだからそちらに聞いてみてはどうですか、と言われ。
中絶を決意したものの、ショックが癒えないまま帰宅をしました。
 
正直、どうやって家に帰って過ごしたのか記憶があやふやで。
とにかく、実家に帰って病院に行かなくちゃ、両親に報告しないと…それだけで精一杯でした。
 
そうして、翌日。
実家に帰って、分娩予定だった病院に事情の説明をし、午後の診察に行くことになったのです。