人は目の前に二つ以上の選択肢が現れると楽な方を選択してしまう動物だ。しかし、楽な方を選び続けてしまうとそれが当たり前になり、大きな困難に遭遇した時にそれを乗り越えられなくなってしまう。その結果、そんな現実を他者の責任にして出来ない自分を正当化する言い訳がはじまるのだ。私は日々の生活の中で常に難しい方を選択するようにしている。普段から難しい道を選択しておけば、多少の困難が目の前に訪れても、動じることのない強い精神を身に付けておくことが出来ます。
私が実際にしている行動の一部を紹介します。私は外出をする時はできるだけ車や公共交通機関を使わずに徒歩で移動しています。車や公共交通機関という楽な選択肢より徒歩という精神、肉体、共に負荷のかかる道を選び経験しておくことによって、車や公共交通機関を利用した時に「便利だな」と実感し感謝の気持ちを再確認することが出来ます。現代においては技術の進歩により様々な面において生活が楽で快適になっています。
ですが、便利なのと楽をしすぎてそれが当たり前になってしまうのはまたべつ問題だと思います。交通手段に車や公共交通機関ばかりを利用していれば、足腰が弱り、筋肉が減少してしまい高齢者になる頃には、歩いたり立ち上がったりすることがしんどくなってしまいます。そうならない為にも楽な道ばかりを選択しないことがとても大事になってきます。そして、他者ではなく自分で道を選択することも大切です。
他者が楽な選択肢を選んだ時はそれに流されずに難しい方を選ぶことで自分自身の成長に繋がります。周りが意味もなくスマホをイじっているなら自分は読書をしたり、商業施設で周りがエレベーターに乗ったら、自分は階段を選択したり、ジャンクフードを食べているなら自分はクリーンな食事を選択します。仲間といる時に一人だけこのような行動をすると周りから非難される可能性が高いですが、そうなればそこまでの関係だど思ってお付き合いをやめればいいのです。
自分の人生を生きている人であれば非難してくることはないので、そういう人を見極め、選択してお付き合いをしていけば良いのです。周りに合わせて行動すれば確かに楽ですが、流されないことで自分自身の成長に繋がります。成長したいのであれば、周りの行動を見て自分はこうはなりたくないなと思わないと、自分も同じになります。しかし、ほとんどの人が周りに流され、他者の悪い習慣を見てもそれを反面教師として自分自身はやらないようにしようという考えすらもたずに同じような道を歩んでいます。自分には見えなくても他者からは見えているという「盲点の窓」があります。
人は自分ではしっかりやっている、楽天的な思考を持っている、他者に対して思いやりがある、前向きに過ごしていると思い込んでいます。しかし、他者から見ればいつも悪口や不平不満を言っていると思われていて、自分ではちゃんとしていると思っている人ほど悪口や不平不満を無意識に言っています。それこそが「盲点の窓」なのである。普段から自分だけの小さな世界から自分を見るのではなく、客観的に大きな世界から自分を見れるように意識する事が大切なのだ。
「盲点の窓」を少しでも無くすためにも楽な道より難しい道を選択し様々な困難と向き合っていればそれを乗り越えるために頭を使い、どうすればもっと成長できるかと常に考えて前に進んでいく事ができるのだ。だがあくまでもこれは自己満足でしかないので他者に難しい道を選べと強制してはいけない。本人が自発的にやると決めてやったことでないと続かないし意味がないからだ。一つ言えることは後悔しても過ぎ去った時間を巻き戻すことは出来ないから、今を大切に生きることが何よりも大切なのである。
私はこのブログを投稿する前日に約25.12㎞ 歩数にして約35.704歩の距離を歩きました。このブログを投稿するに当たって、何もせずに文章で書くだけが嫌だったので実際に厳しい道を選択して有言実行しました。
そして、改めて感じるのが「口だけで何も行動せずに怠惰な日々を過ごしている人ほど、努力して行動に移している人を馬鹿にし批判する」という事実である。私はこれからも難しい道を選択して行きたいと思います。