ネットフリックス映画ですが、多くの人に観て欲しい。劇場公開してほしいくらい。

楽しく気楽な日々を送っているダミアン(ヴァンサン・エルバズ)。自分が性差別をしているなんて気づいていない、ただちょっと女性をからかっているだけ……。しかし、ある日頭を打って目を覚ますと、男女の性役割が反対になった世界にきていた。自身の仕事は評価されず、作家だった友人はアシスタントになり、妻に怒られながら家事をしている。育児休暇をとるため仕事ができないという彼の代わりに、ダミアンは気になっていた女性、アレクサンドラのアシスタントになるが……。

 

見過ごされがちな性差別

 

 この映画の基になっているのは、エレノア・プーリア監督の短編映画『Opressed Majority』(英題)。(こちらのサイトを参照:https://www.excite.co.jp/news/article/Cafeglobe_050872majorite_opprimee/)現実の男女の格差構造を逆転し、男性差別がある社会を描くことで、今の社会の女性差別を浮き彫りにしています。

差別と言うと、暴力や賃金格差など明らかなもの、分かりやすいものがイメージされがち。この映画のすごいところは、普段使われている言葉や態度にどれほど性差別、女性軽視的なものが含まれているかを浮かび上がらせるところです。例えば、ダミアンは「男はちやほやされるからいいよね」「この男の子、かっこいいだけじゃなくて賢いの」(男なのに賢い=すごいの意)といった言葉を何度も耳にする。これは現実なら、「女は~」として語られるところ。

 一方この世界での女性は、「女は子どもだから」「馬鹿だから」(仕方がないよ)と浮気を許されています。これも、普段は「男の子はバカだからしょうがないよ!」という風にしょっちゅう免罪符のように使われていますよね。

映画を観ながら、あれもよく聞く、これもよく聞くと何度も頷きました。男性に対して言われると違和感を感じ性差別に気が付く、というのは皮肉ですが。

 育児休暇を取るのが男性だけになっていたり、「フェミニズム」が「マスキュリズム」に置き換わっていたりと、細かい所の作り込みも上手かったです。ダミアンが不平等に対しおかしいと言うと、「マスキュリストの妄言」と見下されるのも、現実のフェミニストに対するバックラッシュと一緒。とはいえ、この経験によりダミアンが「今まで悪かった」と反省するわけでもないのが面白いかつ上手いところです。ダミアンはわりと懲りない人でした。

 

本当にすごいのはラスト(以下ネタバレあり)

 

 そうか!と膝を打ちたくなったのがラストシーン。
私は、ラストでまたダミアンが頭を打ち「元の世界」に戻るんだろうと思っていました。けれど、それでは全然意味がないのでした。

確かにダミアンは女性とぶつかった際に頭を打って意識を失います。しかし次のシーンで起き上がるのは、ダミアンではなく女性の方。彼女が目を覚ますと、そこは男女格差が逆転し、「女性差別」がある世界だった……。つまり、ダミアン(男性)にとっての「元の世界」は女性にとっては辛い現実。ダミアンが元の世界に戻れて良かったね、という風に終わるはずがなかったのです。この映画が示しているのは、おもしろおかしい「パラレルワールド」ではなく、女性差別が残る現実の方。そう気が付いた時、強烈なメッセージとそれを見せる巧さに呆然としました。

最後の場面では、「マスキュリスト」たちがデモをしていたように、「現実世界」では女性たちがプラカードを抱えて行進しています。その集団のなかから、ダミアンが「アレクサンドラ!」と声をかけるところで映画は終わり。オープンエンドと言えるかも。ダミアンがデモのメンバーの近くにいたということは、性差別や不平等に気が付くようになった、ということなのでしょうか。明確には描かれていませんが、ダミアンの意識も少しづつ変わっているのか? と思わせるエンディングでした。

 

作品情報

『軽い男じゃないのよ』

監督:エレノア・ポートリアット

主演:ヴァンサン・エルバズ

製作年:2018

ネットフリックスにて配信

上映時間:98分

原題:Je ne suis pas un homme facile