映画『TIME/タイム』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 正直それほどスリリングな作品ではない。展開も些か平板。しかし発想自体は悪くはない。そしてその発想のユニークさに関しては上手く有効活用されている。発想の芽を丹念に育んで独自の世界観を構築しているのだ。本作はその点のみで駄作に堕すのを免れている。佳作とまでは行かないが観て損もない内容だ。
 遺伝子操作の成功で人間の肉体年齢を二十五歳に留めることに成功した近未来。あこがれの不老不死が可能となった社会だ。しかしこのままでは人口過剰となる。それはそうだ。全ての人間が老いることも死ぬこともない。そういう形で更に子孫を作り続ければ早々飽和状態に達する。容易に知れる話だ。
 その対策として通貨が時間となった社会。これが本作の面白い発想だ。この時代を生きる人は皆その左腕の皮膚に光るタイマーを浮かせている。余命時間を告げるタイマーだ。しかしその時間は売買によって増えたり減ったりする。この近未来は貨幣の代わりに時間が売買されて成り立っているのだ。
 もしも光るタイマーが0表示になったら?
 その時は自動的に心臓が停止する仕組みだ。
 という次第で本作が提示する社会にも貧富の差は歴然と存在する。貨幣が流通する社会よりあるいはもっと残酷な形でだ。
 千年長者は生きるのに勿論あくせくする必要はない。
 金が金を生む?
 時は金なり? 
 いや、違う。
 本作では、まさに時が時を生むのだ。
 大量の時間を所有している富裕層には老いることのない生が永遠に約束されているようなもの。しかし自転車操業、その日暮らしの貧困層は日々これ「必死」だ。本作の主人公ウィルが生きるスラム街では人々が余命二十四時間も貯金出来ない毎日に文字通り「必死」で翻弄されている。事実五十歳の誕生日を迎えたばかりのウィルの母親はタイムオーバーで死んでしまう。バス料金が二時間に値上がり。その時に残っていた時間が一時間半しかなくバスを利用出来なかったからだ。母親はウィルに時間を分けて貰おうと懸命に走るがタイムオーバー。このスラム街ではこんな死が日常茶飯なのだ。
 理不尽なこの不平等社会に憤りを覚えたウィル。思いがけず手に入れた大量の時間と共に富裕層の地区に乗り込み、やがて時間を全ての人たちに平等に与える戦いを支配層に挑む。ひょんな形で相棒となった世界最大の時間長者の娘シルヴィアと共にだ。
 冒頭にも述べたが本作は純粋なクオリティは今ひとつ。アクション物としてのキレもない。ウィルとシルヴィアの間に育まれた関係性も説得力に欠ける。しかしアイデアと共に築かれた世界観が秀逸なのが本作だ。登場人物全員二十五歳の風貌で実際は百歳超えもいれば、主人公のウィルや相棒シルヴィアのように実年齢もさして変わらぬ存在もいる。その辺の描き方もユニークだ。富裕層の振りをするスラム街の人間の見分け方として、走るか否かをチェックするというのも楽しい。富裕層は時間に追われることがないので決して走ることがない。比してスラムの人間は命の危機を絶えず抱えて駆け回っている。その癖が富裕層に成りすましても抜けないのだ。まさに貧乏暇なし時もなし。おかしくも切ないエピソードだ。ウィルに大量の時間を与える形で自殺を遂げる百歳超えの富豪が語った、「肉体は二十五歳のまままでも長く生きると心がすり減る」という弁も感慨深かった。確かに一世紀も生きれば肉体が例え衰えずとも感受性は奪われるだろう。
 という塩梅で本作はアイデア一発勝利。アイデアの力で観て何だか楽しい映画に仕上がっていた。
 余談だがシルヴィアを演じた女性。今ひとつ魅力がないと感じつつ観ていたが、後でWikipediaチェックしたら、先日観た『ジュリエットからの手紙』の主人公と同一人物と知り驚いた。観ている間まったく気づかなかったのだ。そして『ジュリエットからの手紙』の方では、ドラマの魅力をいや増すとてもチャーミングな女性に感じたから尚更だ。
 同じ人物でも違う映画、違う役柄では、こうも印象が変わるものか。今更ながらだが素朴なそんな感想が湧いた。しかし今回シルヴィアに今ひとつ魅力を感じられなかったのは吹きかえの声優があまりに下手くそだったからという疑惑も拭えない。
 名前を出すのは控えるがあの女。