早く食事を提供せねばと気は焦る。しかし何せ勝手の知れない他人の家の台所。どこに何があるかさっぱり。途惑うばかりだ。
ここは従兄弟の進さんと伯母さんの家。武田勝頼を討ち取った織田の軍勢が安土へ帰る途次、この地で一泊することになった。
町をあげて、その持て成しをせねばならない。
「お前、働いていないから暇だろ。信長様の世話は頼んだぞ」
腰の病気で十年以上前から働けず、生活保護と母親の年金を頼りに生きてきた進さんに町の長が半ば強引に信長の世話係を押し付けてきたのだ。
さて困った。腰を悪くする前から仕事が長く続かず、若い頃から引きこもりがちだった進さん。その母親、つまり僕の伯母さんも、どちらかと言えば世慣れた存在ではない。乱世の大スターに一体どんな対応をすればよいのやら……。
すっかり困り果てた進さん。「どうしたものか……」と電話で僕に相談してきたのだ。
僕くらいしか相談する相手がいなかったのかも知れないが、完全に相談相手を間違えている。進さんと似たり寄ったり。僕とて限りなく世間を狭く生きている世の燻りに過ぎないからだ。
「取り敢えず当日、手伝いに来てよ」
相談されても妙案など浮かぶはずもない僕に、それでも進さんは必死に懇願してくる。
織田信長への持て成し? 嘘でしょ?
本当はおっかなくて嫌で嫌で仕方なかった。しかし幼少の頃から何かと可愛がってもらった進さんの頼み。おいそれとは無碍に出来ず、渋々ながら手伝いに来た次第。
そして現在この惨状だ。この家の人である肝心の進さんと伯母さんが頓珍漢なことばかりしていては、こちらとしては手伝う取っ掛かりもない。伯母さんは芝犬の絵がプリントされた手拭いを箱から取り出して、手拭いから「わん!」と飛び出した芝犬に「あらあら……」と驚いている。芝犬はそのままキッチンテーブルの武将たちのところへ向かい、こちらとしては、もう気が気ではない。幸い若く美しい娘が、「あら、かわいい!」と御機嫌にあしらってくれたから良かったものの、何せ持て成す相手は信長本人。いつ激怒させて手打ちにされるか内心ヒヤヒヤものだ。テーブルに腰掛けている一人は間違いなく信長その人。NHKの大河ドラマ『どうする家康』を観ていたので、その顔は知っていたのだ。まさか自分の人生のなかで織田信長を持て成す事態が訪れようとは想像だにしなかった。眼光鋭く全身から刺々しいオーラが漲っている。風格と緊張感が尋常ではない。
早く何とかしなくちゃ……と気ばかり焦る。
突然そんな状況の部屋に音楽が流れ始めた。既に僕の耳にも慣れ親しんだメロディ。Beatlesのレット・イット・ビーだ。見ると進さんが僕のスマートフォンを勝手に弄ってYouTubeで流しているのだ。信長の威圧感に神経が持たなかったか、すっかり放心状態。床に座り小便しながらだ。
もう駄目だ。今度こそ本当に終わりだ……。
部屋に流れ始めたレット・イット・ビーに瞬時にそう思った。
何が成すがままに……だ。
目の前が真っ暗になりかけた。
「あら? とても素敵な音楽ね」
こんなわけのわからない西洋かぶれの音楽を流しおって! そんなお叱りを覚悟した矢先、若く美しい娘がそう言ってくれた。そして信長本人も娘の言に「うむ」と頷き、「何やら胸が掻きむしられるような切ない調べじゃのう……」と目を細めながらそう言ったのだ。
助かった。心底その展開にホッと胸を撫で下ろした。と同時にひらめいた。
何も自宅で日本料理で持て成す必要はないのではなかろうか? 乱世を生きる武将とお姫様にも関わらず、こんな風にBeatlesの音楽にも関心を寄せる。この感受性ならば食べ飽きた日本食より、寧ろイタリア料理の方が喜ぶかも知れない。
幸い進さんと伯母さんの家のこの近くにはサイゼリヤがある。
これだこのお持て成しだ!
僕はレット・イット・ビーが終わったタイミングで四人の武将と一人の姫を外へ案内した。
この世にサイゼリヤを気に入らない奴など一人もいない。信長ならそのワインを、そしてこのお姫様はそのスイーツを、絶対気に入ってくれるはず。今は揺らぎない確信でそう思えるのだった。
という夢を見た。