映画『ジュリエットからの手紙』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 駆け落ちを約束した恋人を裏切り待ち合わせ場所に訪れなかった。五十年前。十五歳の頃の話だ。
 別に恋人のことが嫌いになったわけではない。年齢もあり、勇気が持てなかった。只それだけ。
 彼女の名前はクレア。
 恋人はロレンツォ。
 あの時はロレンツォに申し訳ないことをした。
 後悔の念と共に五十年間ずっと引きずっていた悲恋。その悲恋に落とし前をつけるため、ロレンツォの行方を探してイタリアのヴェローナ地方を旅するクレアの姿が描かれたロードムービー。鑑賞後Wikipediaをチェックするとロマンチック・コメディとして紹介されている。まぁ実際その主体はそうだ。しかし本作を心地よいロードムービーとして、より深く僕は楽しんだ。
 そりゃそうだ。青春の幻影とも呼びたくなるかつての恋人の姿を探して、孫のチャーリーの運転する車でヴェローナ地方を旅するクレア。その地方に住むロレンツォと同姓同名の人をしらみつぶしに訪ねて回る旅。反則的なまでに只それだけで心地よい。言うまでもないが風景がとにかく良いのだ。流石はイタリア。見ているだけで異国情緒にトリップ出来る。ロードムービーの一つの魅力である、自分が生涯訪れること叶わぬ風景を登場人物らに心重ねる形で旅させてくれる。本作はそのロードムービーの魅力を十二分に堪能させてくれるのだ。思わずワインも飲みたくなる。
 という次第で僕は本作をロードムービーの良さとして楽しませてもらった。しかし主体のロマンチック・コメディとしても特に悪くはない。本作の主人公はクレアではなく、クレアに恋人探しのきっかけを与えたソフィーという若い女性だ。彼女も又、クレアの恋人探しに協力。旅にも同行することになる。雑誌『ニューヨーカー』で調査員として働くライター志望の彼女は五十年の歳月を掛けたこの恋の顛末を記事にしたいと野心を抱いたのだ。そしてクレアの孫のチャーリーと最初は反発し合いながらも、旅を通して次第に心を通わせてゆく様子もクレアの恋人探しと同時進行で描かれてゆく。こちらに関しては完全これロマンチック・コメディだ。正直こちらの展開に関しては、さほど新味はない。可もなく不可もないオーソドックスなロマンチック・コメディの域を出ていない。コミカル性と女性としての魅力を併せ持つソフィーに対してチャーリーの人物造形が今ひとつ魅力に乏しいのもマイナスポイントだ。しかし見ていて嫌味がない。ロードムービーとしてこれだけ魅力的な本作。ロマンチック・コメディの要素に関しては見て不快感が湧かなければ十分それで合格点だろう。料理人の婚約者がいるのに簡単に他の男になびいてしまうソフィーの尻軽っぽさが若干こちらの倫理観と照らし合わせて違和感覚えるものの、おおらかで開放的な風景のなかを共に旅したのなら、まぁ仕方がないかと十分に許せる範疇。というか序盤、今ひとつ魅力を感じずに観ていた理由が、婚前旅行に共に出かけたソフィーのこの恋人に苦手意識を覚えたからだ。何かとすれ違いが多くなっている二人の関係が旅を通して修復されるストーリーを予想していたので、寧ろその予想が大きく外れて良かった。
 序盤は若干テイストが合わないかなと感じた本作。しかし途中からは最後まで清々しく観ることが出来た。絵に描いたようなハッピーエンドも、たまにはこういう昔ながらのフィーリングも良いかと素直に受け止めた。
 ちなみに本作の題名に関して。
 本作の舞台となったヴェローナ地方は『ロミオとジュリエット』の舞台ともなった地。そこに世界中から訪れる観光客が恋愛相談の手紙を置いてゆく。そのあまた手紙にヴェローナ市のボランティア女性らがジュリエットに扮して返信を書いて送る。本作の主人公ソフィーは料理人の婚約者と婚前旅行で訪れたこの地で、ひょんなことからそのボランティアの手伝いをすることになった。そして壁の煉瓦の裏側に隠れていた五十年前の手紙を発見。それをきっかけにストーリーが動き始めるのだ。
 このジュリエットの秘書と称されるボランティア。これは映画内だけの設定ではない。事実そういうボランティアが現地に存在するそうだ。そしてWikipedia情報によれば本作が上映されたのち、その影響で置いてゆかれる手紙の量が以前より八倍にも増えて、ボランティア増員体制で今は対応しているそう。
 それだけの力は確かにある映画だった。実際この地に行ってみたい憧れが僕の胸にも俄かに湧いたものだ。勿論イタリアは僕にはあまりに遠く、生涯行く機会などないだろうが。