映画『回路』 | 春田蘭丸のブログ

春田蘭丸のブログ

願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 現在セルフリメイクに当たる黒沢清監督最新作『蛇の道』公開中。それを記念。公式がYouTubeで二週間限定無料公開をした本作。
 以前レンタルでDVDを借りて観ている作品ではある。しかし本作は惑うことなく大傑作。こんな機会があれば是非もう一度チェックしたい。
 という次第で有り難や、期間内にいそいそ観させてもらった。
 前回観たのがもう二十年以上前。それでも流石この作品はかなり記憶に残っていた。それだけ強烈なインパクトを残したのだ。
 重厚な映像と構図へのこだわり。その中に様々な趣向や仕掛けがふんだんに凝らしてある。よくよく注意して観ていないと見逃しそうなこまかなそれも含めて数多だ。
 確かに記憶に残っている箇所は多かった。それでも当然のように、改めて新鮮な気持ちで観通すことが出来た。今回も又、新たな発見と感慨が湧いたのだ。
 黒沢清の持ち味が最初から最後まで密度濃く詰まった日本のホラー系SF映画の金字塔。正面からお化け屋敷的インパクトで怖がらせに来るわけではない。映像の端々からじわじわ迫ってくるような緊張感を孕んだ恐怖。黒沢清が演出する怖さの真骨頂だ。改めて今回それを確認した。
 何れにせよ黒沢清に駄作なし。少なくとも今までに僕が観た黒沢清映画は一定の水準をすべて軽々クリアしていた。その中でも、やはり『CURE』と本作は突出している。甲乙つけ難く良い。何れも難解ではある。余程意識を集中していないとストーリーから置いてゆかれそうな作品。しかし独り善がりに何れも堕していない。わからなさを懸命に追おうとするから至って映像とストーリーに意識が集中。俄然そこに惹き込まれてゆく。結果、通常の映画とは比較にならない密度の濃さを堪能できる。まさに黒沢清マジック。観客の想像力に信頼を置いているが故の手法だ。
 当時の若手俳優たちの頑張りも本作は見もの。
 特に加藤晴彦と小雪の関係性が良い。
 最初観た時、なぜ小雪が加藤晴彦に積極的に関わろうとするのか若干不思議に感じたのを記憶している。ゼミの女王様然とした小雪が、今一つパッとしない(あくまでも役柄上ね)加藤晴彦になぜ積極的に関わろうとするのか? その辺ちょっと不可解に思ったのだ。しかし今回改めて観て気づいた。華やかで颯爽とした印象と裏腹に、幼少の頃から死の恐怖や生の孤独と内省的に向き合い続けてきた小雪。対する加藤晴彦は一見なにも考えてなさそう。実際、己の内面と深刻に向き合うタイプではないだろう。しかし本人も気づいていないところで彼も又、他者に飢え、更に死に関心を抱いていた。だからパソコンに無知で興味もないのに自分でもよくわからないままインターネットを始めてしまう。他者と繋がりたいという自分の思いに気づかないまま。そして「幽霊に会いたいですか?」という奇妙なサイトにアクセスしてしまう。死に惹かれる自分の思いに気づくこともなく。
 恐らく小雪は加藤晴彦本人も気づいていない彼が抱えた魂の孤独、自分と同じ飢えを感じ取ったのだ。その辺の心理の綾、関係性の変遷が、二人のやり取りを通して繊細に伝わってくる。途惑いながらも小雪の抱えた闇を受け止めてゆこうとする加藤晴彦の不器用でナイーブな朴訥キャラも良い。息詰まるホラーが基本の本作。しかしこの二人の関係性に妙に心温まる青春ストーリーを感じ取ったのは恐らく僕だけではないだろう。間違いなくこの二人の関係性、そのやり取りが、この作品の深み及び好感度を高めることに貢献していた。それゆえ次第に死に取り憑かれて狂ってゆく小雪も、そして生への執着をあれだけ口にしていた加藤晴彦が、結局、思念だけ残した黒いシミになってしまうラストも、何れも単にホラーでは醸し出せない切ない味わいに結びついていた。
 この世とあの世の結界が崩壊、人類が滅亡の危機に瀕す過程を僅かな出演者でしっかり表現できているところも本作の見どころ。映画の作り方を自家薬籠中の物とした監督がとことんこだわったがゆえの当然のクオリティだ。パソコンやインターネットが一般に浸透しかけている時期にありがちだったやり取りが自然に組み込まれていて、その辺も御愛嬌ながら懐かしかった。ついこの間の作品に錯覚しそうだが、改めて観ればやはり歳月は流れている。加藤晴彦も小雪も凄く若い。特に小雪の華やいだ若さは息を呑むほど美しかった。