さらばギターを忘れた根無草。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 二年前からTwitterのアカウントが更新を停止。その時期を境に一人で暮らしていたアパートを友人知人らが訪ねてもいつも不在。要は行方知れずとなっていた人。周囲がその消息を探しているのをTwitterのタイムラインに偶に見かけて、ずっと気には掛かっていたが、つい先日その訃報を拾った。アカウントの更新が停止した時期に人知れず亡くなっていたらしい。
 或いはそういうことなのかな?……うっすらその予感は覚えていたものの、実際それを確かなものとして知ると、やはり哀感は湧く。はっきり年齢は知らないが、確かまだ還暦までは行っていない筈。特に健康を害していた様子もなく、逝くには若干早い気もするので、或いは日常や人間関係のしがらみが不意に嫌になり、Twitterのアカウントも含む全て捨て、ふらっと蒸発したのかもしれない、そんな思いも馳せていたのだ。今どき携帯電話も所持せず日雇い仕事で生計を立てている筋金入り根無草。Twitterも何か些細なことで勝手に傷ついてアカウントを消す。しばらく経って新たなアカウントで又復活。その後、又アカウントを消して又復活。と度々垢消し繰り返すセンシティブな人だったので、そういう蒸発の仕方も或いは可能性としてはあるのかな……と。
 元々は日本のオルタナティブ系ギタリスト。八十年代や九十年代後半辺りまでは知る人ぞ知る存在として活動をしていたのではないか。名前を存じ上げている程度で僕もその活動を追っていたわけではない。しかしTwitterを始めたばかりの十二年前その名前をアカウントに見つけ、「お、懐かしい!」と即フォローして以来、ずっと折に触れてツイートを覗いていたので、亡くなったと知れば胸に湧くものはある。自分が一番輝いていた頃の思い出にすがって現状を耐えているような印象も含めて今は妙に懐かしい。Twitterをフォローした最初の頃は何度か新たなバンドを組み、ミュージシャンとして再起を果たそうとしている節も見受けられたが、どれもライブにまで漕ぎ着けられず潰えたみたいだ。最近は既に再起の気力も失せたらしく、ギターを手にすることもなくなっていた印象。YouTubeで何度か現役時代のその人のプレイを聴いたことがある。ささくれてとんがった如何にもな音が十分これ鋭く刺さった。ゆえに結果的にその晩年となってしまったTwitterでの印象に、なおさら感傷めいた思いが湧く。自室でひっそり亡くなっていた。しかも死因が心不全とのこと。その諸々を知れば自殺の可能性も疑いたくなる。亡くなっているのが知れるのに時間を要したのも、同じアパートの住人が事情を尋ねても何も教えてくれなかったのも理由の一つとしてあるらしく、そういう面からもそれを疑いたくなる。元々ツイート内容も定期的に情緒不安定になる人だったから尚更だ。
 しかし亡くなる直前、本人が遺したツイート内容をチェックすれば比較的穏やか。冷蔵庫を新しく買った報告もされているので、そういうことではなく本当に急な心臓発作に見舞われたのかもしれない。不摂生な暮らしぶりは十分伺えたので、そちらの可能性も捨て難い。
 何れにせよTwitterで長年に渡り親しみを覚えていた人が又一人亡くなったのは確かだ。哀感。哀悼。もう一度スポットライトの当たる場所でギターを弾かせてあげたかった気が今は少しする。
 改めて心よりご冥福をお祈りします。
 それにしても干支が一巡するほど利用を続けているとTwitterでもこういうケースが珍しくなくなってきた。身寄りなき死者の墓標めく停止アカウント。同じく更新を止めて久しい札幌のあの人や西成のあの人も恐らく今は……。
 そして僕のアカウントもやがて墓標となる日が来るのだろう。
 僕のアカウントが人知れず墓標となる。それも或いはそう遠くないのかもしれない。