映画『最初の晩餐』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 病気で亡くなった父親の通夜の席が主に描かれた本作。そこで義理の母親は客にもてなす仕出し料理を一方的にキャンセル。亡き夫の遺言と称して自らの手料理を振る舞う。目玉焼きから始まり、味噌汁、しめじがトッピングされたピザ、そして最後は……。
 そう、それらは擬似家族の五年間が蘇る、更には義理の兄と父の関係が、父が亡くなる直前に修復された際の思い出レシピだ。
 そして回想されるあの日々……。
 終盤に葬儀当日の模様も簡単に描かれる。しかし現代パートの大方は実家で営まれる通夜で構成されている。そこに食などを通した回想シーンが巧みに織り込まれた小津安二郎的佇まいの逸品だ。特に際立った個性は感じられない。しかしミニマムなオフビート的テンポが観ていて実に心地よい。親戚や父の職場の同僚、読経に来ている若い坊主などを交えた田舎の通夜。その如何にもな光景。これも又ありがちながら観ていて退屈しない。観客の気持ちを途切れさせないフックが要所々々さり気なく仕掛けられているのだ。田舎の親戚付き合いの煩わしさをきちんと描きながら、それが不快になる手前の絶妙のさじ加減で微笑ましさに転化もされている。現代パートと回想シーンとの切り替わりのバランスも良い。そして普通の家族構成ではない、この家の特殊事情が少しずつ解き明かされてゆく。それはちょっとした謎解きながら、しかし地味なストーリーに興味を持続させるのに役立たせている。
 一言で感想を述べると「上手い!」。全体的に燻し銀的な味わいを感じさせる作品だ。
 何よりも縁が取り持つ関係性、その不可思議さ、面倒臭くもあるがそれ以上に理屈では割り切れない愛おしさが、さり気なく表現されているのに好感が持てる。一度は自然に解体された家族関係が父の死をきっかけに再構築されてゆく。その過程が個々の登場人物の心情も細やかに描かれてゆく。日常のしがらみだらけの人間関係が、あるいは素晴らしいものではないかと思わず錯覚しそうになる。嫌味ではない。日常を細やかなファンタジーに様変えるミニマム系の趣向として、観客にそんな錯覚を抱かせるのは大成功だろう。日常と地続きのようで、実はほんの少しだけ浮遊した世界が、ここには実にセンスよく演出されている。
 更に付け足すと本作は出演者が豪華。
 まず本作の主人公を演じるのが染谷将太。その姉を戸田恵梨香。更に亡き父親を永瀬正敏。永瀬正敏演じる父親の再婚相手を斉藤由貴。その連れ子を窪塚洋介という面々。よくこれだけの面子を集めたなという、存在感も演技力も申し分ない俳優が集結。案外この面子が地味な展開をタイトに引き締めていたのかもしれない。特に永瀬正敏と窪塚洋介の共演など九十年代に映画やドラマを漁っていた身には垂涎ものだ。この役どころに窪塚洋介は若干勿体なくも感じたが、勿論相変わらずの存在感に変わりはない。動きの少ない静かな役どころでも独特の色気を放っていた。
 戸田恵梨香の娘時代を森七菜。
 更に陰険で粘着質そうな親戚を池田成志。
 この辺も何気に良い。窪塚洋介の少年時代を演じていた俳優も名前は知らないが惹きつける雰囲気を漂わせていた。キャスティングの妙も含めて本作はセンスの良さが光る。特に不倫の果てに別れた亭主を自殺させてしまう業の深い女を演じるに斉藤由貴は申し分ない。苦笑まじりに納得。
 庭で飼っている犬を嵐の晩に家に避難させるシーン。最後にこれは蛇足となるが、あのシーンに関しては若干興醒め。あんなに本格的な嵐が来る前に避難させてあげろよ。どうでも良いと言えばどうでも良い些事。しかしミニマムな世界を描くにこういう些事への気配りは大切だ。わんちゃん可哀想……と、この一家に対する親しみがこのシーンに若干醒めたのは確かだ。
 まぁ蛇足の些事だけど。