立原道造詩集(杉浦明平編)。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 最近改めてファンになった内田有紀が案内役として出演。只それだけの理由で久しぶりに録画して観た『新美の巨人』。
 それは立原道造のハウス回。
 夭折の詩人として有名だが、建築家でもあった立原道造が生前に残した設計図を元に作られた小さな木造の家が紹介された回だ。僅か五坪にさまざまな趣向を凝らしたそのミニマムな良さに感心。ふと久しぶりにその詩も読みたくなり、本棚から探し出して来たのが今回の再読きっかけ。しかしその時はその代表的な詩を数篇つまみ読む程度の気持ちだった。又どうせ、「お前みたいに無学無教養な輩にボクの繊細で美しい世界がわかってたまるか!」と言わんばかりにその言葉の羅列に跳ね返されるのがオチだと思ったからだ。
 立原道造の詩集に関しては二十歳くらいの頃に一度読んでいる。当時も一応最初から最後まで一通り読んだ。しかし今一つピンと来なかったのが正直なところだ。寧ろ当時はその青臭い叙情性に「けっ!」と反発を覚えた記憶が漠然と残っている。世間知らずの坊ちゃんがいい気なものだ……という悪意を先立たせて読んでいた節がある。当時は僕も二十歳そこそこ。十分これ世間知らずだったにも関わらず何を知った風な気持ちを抱いていたのだろう?……と若き日の自分を思い出すと俄かに恥ずかしくもなる。最もこれに関しては今も世間知らずそのものだ。しかしそれを謙虚に認識できるようになった。その程度には、まぁ僕も成長したということにしておこう。 
 何れにせよ今ひとつ肌合いが僕とは合わない世界という認識で一度読んだきり本棚の奥深く仕舞い込まれていた。そして顧みることもなく、そのまま三十年以上の歳月が流れていた。それが僕にとっての立原道造詩集だ。  
 という次第で今回もそれほど期待を寄せて再読を始めたわけではない。立原道造ハウス回の余韻を少し味わいたかった。その程度の再読欲求だ。
 それが結果まさか、こんなに時間を要した、しかしその時間に十分見合う充実した読書体験となるとは……。
 読了した今、半ば放心状態で改めてそれを思う。つくづく思う。
 僕は詩集に関しては一篇を少なくとも一度に三回は読み返す形で読み進めてゆく。多分ここ十年くらいに根づいた営為かと思う。特にマイルールとして決めた覚えはない。しかし自分でも知らぬ間に定着していた、それが詩に関しての僕の読書スタイルだ。今回の立原道造もそうだが、特に抽象的な詩は一度ではイメージが掴み切れない。繰り返し味わうことでようやく腑に落ちる。というか、あくまでも漠然とながらわかった気になれる。それが詩に関する僕の疎い感受性だ。今後もそういう付き合い方をしてゆくしかないのだろう。小説やエッセイのような散文形式に比べて確かに付き合い方はもどかしくなる。しかしそのもどかしさに腹を括って十分余りある世界がそこに待っているのだ。三回読み返すどころではない。一つの詩によっては四回、五回、六回……と進めていった今回の遅々たる営為が、改めてそれを認識させてくれた。
 そう、三十数年ぶりの再読。我ながら驚いたが今回その叙情性にまんまと嵌ってしまったのだ。
 つまみ読み程度のつもりで本棚から引っ張り出したが、いざ読み始めるとなかなか手放せない。二十歳の頃は容易く跳ね返された青臭い言葉の羅列。それが五十路を過ぎた今の方が身に沁みる。いや、この言い方はあるいは的確ではないかもしれない。今回の再読も二十歳の頃同様、すんなりその世界に入り込めたわけではない。しかし今回はわかるまで繰り返し付き合いたいと思わせる何かを感じた。その青臭さに強く惹かれた。何かと斜に構える癖を備えていた当時より、寧ろ五十路を過ぎた今の方にその世界はより訴えるものがあるのかもしれない。穿った表現や冷笑系、あるいは機知をひけらかす表現より、歳を重ねるごとに素朴で純粋な表現に惹かれるようになる。五十路を過ぎた今さら立原道造の良さに開眼したのも、恐らくそういうことなのだろう。
 良くも悪くもまだ思想が固まっていない、少年性を無邪気に引きずった青年の夢見心地な文学的遍歴が、自然への親しみ、明日への淡い希望、更には他者への純真な憧憬も織り交ぜて、瑞々しい青春性として見事に詩に結実している。今回の再読にそれを感じた。
 本書は生前に刊行された詩集全篇の他、それ以前の習作や未刊の詩、後期の草稿の類も集められた決定版のような内容。僅か二十四年の生涯を思えば質量共に十分すぎるボリュームだ。その代わり散文は一つも収録されていない。しかしその早過ぎる晩年、保田与重郎に影響を受けて、民族主義的思想に傾倒していたエピソードを知れば、散文にはあまり魅力を覚えない。その人となりを知りたいわけではなくて、その表現の最も美味しい果実を味わいたいだけならば、立原道造の場合、散文までチェックしなくとも、やはり詩だけで十分だろう。そういう意味では詩だけに集中した本作の杉浦明平の編集方針は、さすが学友だけのことはある。わかっている……と、その後書きの充実度も込みで感心させられた。
 生前に発表された詩の多くがそれで形成されているが、やはりソネットが良い。日本のソネット詩人で真っ先に上がる立原道造だが、確かに日本語で書かれた最も良いソネットがここにある。書く詩が結果的にソネットになるのではない。間違いなく後年の立原道造はソネットを目指して詩を書いている。ソネット形式への安心感が立原道造の詩を完成させたといっても過言ではないだろう。しかし前から思っていたが、四行、四行、三行、三行、計四連の十四行から成るソネットの形式は、正直、日本語で書くにあまり必然性のない形式だ。これは立原道造のソネットに関しても言える。ソネットを最初から目指しているのでその型枠に言葉を嵌め込んでいるだけ。別にそれが自分のルールで十行にしようと十五行にしようと、特に問題はないように思えるのだ。
 只必要だったのは型枠だ。それが立原道造にとって西欧の詩で慣れ親しんだソネットだった。只それだけのことだったが立原道造の詩を育む場所としてそれはとても大切だった。十四行に自分の思いを言葉に変換して嵌め込む。それを目指すことで立原道造が自分の思いを集約出来たのは確かだろう。
 付け焼き刃の思想を盛り込むには形式があまりに小さ過ぎる十四行。しかし日々に接する自然や湧く情感、夢見心地の物思いを形にするにはこの上なく便利な器。彼のような気質にはまさに絶妙だ。確かに日本語では特に必然性を感じないソネット形式。しかしそれを必然に転化した立原道造。彼にソネットを与えた詩の神につくづく感謝したくなる。
 実際ソネットへの絶大なる信頼が絶妙な組み合わせで言葉を生み出していたのだろう。語彙は決して多い人とは感じない。しかし繰り返し使われる言葉が別の繰り返される言葉と新たに組み合わさり、そこに新たな情感が又醸し出される。その組み合わせのバリエーションがソネット形式のなかで実に豊富なのだ。それでいて瑞々しい透明感という揺らぎない叙情性は確固としている。形式と叙情性に成り立つ安定した基盤。その上でバリエーション豊かに揺れ動く情感。確かに一度その魅力に開眼すると癖になりそうな世界だ。汚れなき若さがとても眩しい。
 もう一つ。これは触れるべきかどうか迷ったが、やはり簡単に触れておこう。立原道造が若過ぎるその晩年にナショナリズムに傾倒していた件。吉本隆明も確か、「もしも長生きしていたら、戦争翼賛に積極的に加担していたろう」と立原道造をピックアップした原稿で触れていたのを覚えている。本書の後書きでも、杉浦明平が残念なこととして触れている。何となく僕が立原道造を遠ざけていた理由の一つもあるいはそれかもしれない。
 しかし今はその辺を深刻に受け止める必要はない気がしている。まだ自分の価値観や思想が固まっていない時期に、彼も又その時その時に読んでいた書物からダイレクトに影響を受け過ぎていた。只それだけのことに過ぎない気がするからだ。当時の文学青年の多くと同様、彼も又その時の流行り思想に嵌まり込んでいたのだろう。そして同じく当時の文学青年同様、彼も又、時流が変わればあっさり考え方を変えていた気がするのだ。その辺に関しては要はYouTubeの極論にのめり込み「真実に目覚める」今どきの浅はかな青年らと大差はない。日本の行く末の暗さを無意識に感じ取っていた中原中也に比べて、その思想は脆弱。あまりに感受性は無防備だったと僕も感じる。
 それでも立原道造はその浅はかな思想を詩に託そうとはしなかった。いや、恐らく託す術を見つけられなかったのだろう。夭折の詩人にとって、結果そこは幸運だった。「真実に目覚める」今どきの若者たちと決定的にイメージを違わせるのもそこだ。
 そういう意味でも短い生涯の最後に立原道造がソネットを自分の形で完成させることが出来たのは一つの奇跡だ。一点の曇りもなく瑞々しさのみ純粋培養された十四行の世界。それはヒステリックで居丈高なアジテーションとは無縁。プロパガンダに利用されるような世界でもない。そして子供の頃から病弱だった人となりを知ればこれは少し不思議な気もするが、鬱屈や劣等感、青春の蹉跌も感じさせない。只々、「世界は美しい。そして人生は素晴らしい」と夢見心地に青春を謳歌している人のそれだ。あまりにも素直で真っ直ぐなその感受性が若い頃の僕には受け止め難かった。それが当時の僕には今一つ馴染めなかった理由の一つだろう。恐らく妬ましさも覚えたのだ。
 しかし今は屈託のない感受性で紡がれた瑞々しい世界が素直に美しいと感じる。こちらも斜に構えることなく真っ直ぐその思いを受け止めたくなる。
 結核は確かに立原道造の若い身体を蝕んだ。しかし心は最後まで決して蝕まれることはなかった。そこも更なる奇跡だ。
 醜悪な思想へヒステリックに傾いてしまった晩年の立原道造。しかし心の瑞々しさがそこに侵食されることも、結核同様、最後までなかった。彼の詩と丹念に向き合えばそれは自ずと知れる。
 遅まきながら繰り返し読むに足る世界を改めて一つ得た。