映画『ブロークン・アロー』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 核弾頭の強奪を企む上官に果然と立ち向かう、クリスチャン・スレーター演じる若きヘイル大尉の活躍が描かれた本作。監督はジョン・ウーと事前情報に知り、期待値高めで観てみれば、これが期待に違わぬ出来栄え。お馴染みの2丁拳銃や、お互いに銃口を向け合って動きが止まる息詰まる緊張感。ストップモーション後の怒涛のカタルシスなど、ジョン・ウーで引き合いに出される個性が随所にビシッと決まっていて、最初から最後まで実にテンポ良く砂漠の戦いが紡がれてゆく。大味で派手なアクション。細工が緻密に施されたアクション。硬軟取り混ぜられたアクションがメリハリを生み、まったくダレ場がない。カット割も流石の妙だ。ジョン・ウー作品もう一つの魅力である切ない人間ドラマの要素は、恐らくハリウッドのノリに合わせたのであろう、残念ながら本作では希薄だ。しかし自尊心が病的に肥大化した粘着質なディーキンス少佐の人物造形は演じるジョン・トラボルタの怪演も相まって実に見事。自惚れと周囲を見下す心が反映された他者を舐め回すような目つきのリアリティが半端ない。切れ者ではあるが心歪んだこの手の悪党を演じさせるとジョン・トラボルタは俄然存在感を放つ。
「あんたは高い自己評価の割に上層部から評価されていない。それが不満で軍のお偉方を見返してやりたかっただけなんだ!」
 隠し持つ本音を見事に突かれて、余裕かました表情が一気に奪われる瞬間も見事。今更ながらだけれど『サタデー・ナイト・フィーバー』の線の細い青二才的イメージを早々に払拭した、それがジョン・トラボルタのその後の再ブレイクに繋がったのだろう。日本だと竹内力が青春スター的イメージと決別することでVシネマの帝王と称される個性を備えたのと重なる。何れにせよ見事な判断力による鮮やかなイメージ・チェンジだ。僕個人としては『サタデー・ナイト・フィーバー』の彼に思い入れがあるので、再ブレイク後のジョン・トラボルタに正直しばらく馴染めなかった。しかしジョン・トラボルタ本人にとっては必然に基づいた、実際その後のキャリアにも結びついたイメージ・チェンジだったのは間違いない。
 観終えた後で試しにインターネットで本作の感想を拾ってみれば、概ね評判は良い。しかしアメリカ空軍が扱う核弾頭にしてはセキュリティが緩すぎないか?……という疑念やツッコミは幾つか拾えた。これに関しては実は僕も観ている折々に若干感じはした。しかし又それも御愛嬌だろう。
 息をも吐かせぬアクションのスピードで、折々に湧く疑問もすぐ忘れさせてくれる。御都合主義的なところも力業で有耶無耶にしてしまう。ハリウッド作品に特化した理想的娯楽アクション映画だった。
 紅一点、巻き込まれる形で主人公のヘイルと行動をともにする公園監視員テリーも良い。ヘイルとの掛け合いもテンポ良く、砂漠を舞台とした殺風景な映像に良い華を添えていた。可愛らしい女優さんだと思い、観終えた後でその経歴をWikipediaでチェックしてみれば僕より一歳上。そして彼女、あのリバー・フェニックスの最後のカノジョでもあったそう。又それも感慨深い。