ドロンジョ様はいい女。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 先日、新年会の待ち合わせ場所としてナナちゃん人形の前を訪れたら、そこにドロンジョ様が迎えてくれた。
 要はナナちゃんがドロンジョ様のコスプレ披露していたということだけど、又これが鮮やかな出来栄え。行き交う人らが立ち止まってはスマホを向けている。僕もミーハー気分で何枚か写真を撮った。巨大ドロンジョ様の華やかさが、新年早々の繁華街の雰囲気をより明るくしていたのは確か。実に目に新鮮だった。
 しかし新年一発目のナナちゃんコスプレが、なぜにドロンジョ様?……と訝しみを覚えたのも又事実。で、ナナちゃん人形の脇に設置された掲示板ポスターの説明を読めば、これが干支つながりと知れた。
 ドロンジョ様のアニメを制作していたのがタツノコプロ。
 そして今年は辰年。
 なるほど。かなり無理やりドロンジョ様だ。
 まぁ何れにせよスレンダーでモデル体型のナナちゃんにはドロンジョ様のコスプレが凄くよく似合う。以前実写版映画で深田恭子もドロンジョ様を演じていたが、骨太がっしり体型の深田恭子よりドロンジョ様に関してはナナちゃんに軍配を上げたい。
 考えてみれば、しかしドロンジョ様は不思議な女性アニメキャラクターだ。メーテルにせよキューテーハニーにせよ浅倉南にせよナウシカ、更にはキャッツアイの美人三姉妹にせよ、思春期に至る直前から思春期初頭に掛けて疼いたアニメの女性キャラクターの数々。しかし後年大人になってから見返すと、こんなものだったかな?……と興醒めするほど単なるアニメのキャラクターだ。当時そこに性欲まじりの眼差しを向けていたのが俄かに信じ難い。今見れば実にアニメアニメしている。皆、異性の艶かしさは微塵も感じ取れないのだ。
 しかしドロンジョ様に関しては違う。
 寧ろ大人になってから接した方が、生々しい女性をそこに感じるかも。
 この辺ちょっと説明が難しくなるけれど、子供の頃に見ていたドロンジョ様は単にコミカルな悪党一味の一人。確かに紅一点の女王様的リーダーではある。しかし単に性別が女というだけ。そこに異性に対する性欲を子供心に覚えることは全くなかった。しかし大人になった今の方が、寧ろドロンジョ様に関しては女性を感じる。それは夢の世に具現化された理想としてのメーテルとか、あるいは自分には高嶺の花の学校のマドンナ浅倉南とか、そういう手の届かない憧れとしての女性像ではない。ドロンジョ様に感じるのはもっと身近な親しみだ。もしもドロンジョ様が職場の同僚にいたら手近な存在として口説いて、一緒に焼肉を食べに行けるような腐れ縁になりたいな……そう思わせる良い塩梅の生活臭が感じ取れるのだ。些かゲスな言い方をすれば、この程度の女なら自分にもちょっかい出せるだろうと思わせる手ごろなイメージが逆に魅力だ。しかし当の本人は自分では満更でもないと思っている。そして付き合ってゆくにつれて、そういう身の丈に合わない自惚れを抱いている駄目さ加減も含めて、諦念まじりに愛しくなる。そんな下世話で等身大の女性像だ。コスチュームに捉われず、人柄だけ見るとドロンジョ様はその辺に普通にいそうな平凡で生臭い女性のリアリティーを感じさせる。大人になってからの方がその女性としての生活臭に親近感が湧く。新年早々のナナちゃんのコスプレ見て、改めてドロンジョ様に対するそんな感慨が湧いた。
 そう、妙にドロンジョ様は懐かしく、思い出すと温かい気持ちになる存在だ。