先日の篠島散策。遊覧船乗り場の近くに山頭火の句碑が立っているのが印象に残った。
歩きつづけて荒波に足を洗はせてまた
春風の聲張りあげて何でも十銭
花ぐもりの病人嶋から乗せて来た
出船入船春はたけなわ
島へ花ぐもり嫁の道具積んで漕ぐ
鳥嶌人が乗り人が下り春らんまん
やっと一人となり私が旅人らしく
波の上をゆきちがふ挨拶投げ交わしつ
以上の八句。句の内容から春に訪れたと思いきや、帰宅後インターネットで調べてみれば、この句碑に刻まれた八句は特に篠島産というわけではなく、全国各地に同じ内容の句碑が立っているという。
要は使い回しの句碑なのだ。
現地で「篠島の雰囲気出てる句だよね」って連れに感想を述べたことを思い出して、恥ずかしくなってしまったが、それだけ今は山頭火の存在が日本の寂れた旅情と深く結びついているのだろう。フーテンの寅さんと同じくね。
句碑に刻まれた句は篠島とは何の関係もない句と知れたが、篠島を訪れているのは事実らしく、これもインターネット情報によれば昭和十四年。昭和十五年に亡くなっているから、逝く前年の年だ。山頭火の日記全集を文庫本で揃えてあるが、そういえば確かに知多半島を旅した箇所は記憶に残っている。朧げな記憶なのでどこまで当たっているか我ながら心許ないが、既にそれは行乞の旅ではなく、友人ら何人かと連れ立っての普通に観光旅行だった気がする。そういう行乞とは無関係の旅は死ぬ直前の僅かな時期にしか行っていない筈なので、僕が山頭火の日記で漠然と記憶している知多半島周遊の際、恐らくこの篠島にも立ち寄ったのだろう。気無しに読んでいたから気づかなかったが、恐らくそこに篠島を訪れた記述もある筈だ。時間を見つけて改めて確認してみたい。
句碑の内容は篠島と無関係で思わず赤っ恥気分を覚えた。ここでこんなことを述べると負け惜しみに思われてしまうかもしれないが、しかし島が全体的に漂わせている雰囲気は山頭火の句のイメージと絶妙にマッチする。山頭火の雰囲気に合うのは初夏に訪れた日間賀島より間違いなくこちら篠島だ。
まだ昭和の、山頭火が生きていた頃の風情を残している漁村の建物。その風景。更には腐葉土を踏み締め踏み締め歩く散策路のあちこちに祀られたお地蔵さま。弘法様に見立てられたそれが、顔立ちも雰囲気もそれぞれ個性を違えて、島全体に八十八体祀られているという。これも又、お地蔵さまがよく登場する山頭火の句のイメージに合う。海に山に草茫茫の獣道のような散策路。更には寂れ朽ちかけた建物と昔とさほど変わらぬ漁村の営み。昭和が色濃く残る風景を散策しながら、山頭火も以前この地を訪れて、いつものように歩くリズムで幾つもの句を物にしたのだろうな……と篠島に滞在した翁の面影を自然に偲ぶことが出来たのだ。
僕の場合は短歌だが、何れにせよ僕もせめて晩年の十年くらいは世のしがらみから完全に解放されて、己の見たもの聞いたものを歌に紡ぎ変える営為を送りたい。山頭火ほど極端ではないにせよ、自由な時間を得てあちこち散策。歩くリズムで捕まえた歌を日々丹念に磨き上げる。
そんな営為が僕の晩年にも残っていたなら……
そういえば山頭火も晩年の十年に集中して句作したのだ。僕も十年あれば十分な筈だ。
曇天をいただいた今回の篠島散策にそんなこともふと思った。そうして切に願った。