塚本邦雄『珠玉百歌仙』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 読み応え十分。取り上げられた歌の一首々々に丹念に付き合い、その解説を何度も読み返し、時間をかけた濃密な読書体験を味わえた。
 前衛短歌の牽引者であり、歌壇に燦然と輝く巨星でもある、お馴染み塚本邦雄。三十一文字の定型に独自の美学も確立した、そんな著者のお眼鏡に叶った百十二首が厳選されたアンソロジー。
 簡単に「百十二首が厳選」と書いてしまったが、始まりは斉明天皇から締めは森鴎外に至る、近代短歌が始まる直前までのおよそ十二世紀に及ぶ膨大な和歌から選びに選び抜かれたものだ。しかも優れた選者の美意識で見事に統一されてもいる。
 そんな珠玉ばかりの百十二首。悪い筈がない。
 更には一首々々を丹念に読み解いた解説も要を得て的確。そして極め付けは重厚な美文。
 本書は選ばれた歌も良ければ解説もよし。美文に酔い痴れることも出来る。文句なしの短歌の大傑作アンソロジーだ。若い頃に本書を読めていたら、あるいはもっと早く和歌の、ひいては短歌の世界の奥深さと幅広さ、更には詩としての独立性に開眼できていたかも……と読んでいて悔しくもなる。勿論、今後何度も読み返す愛書となることも間違いない。
 選びに選び抜かれたこの百十二首。それは古今和歌集以前から、和歌の全盛期は勿論、室町時代や乱世、江戸時代の停滞期から、最後は近代短歌へバトンを渡すまでに至る、あまりにも長い和歌の歴史にとことん付き合い、膨大な量の歌集の一冊々々を丹念に読み解いてきた著者の教養あってこそだ。その情熱に思いを馳せると目が眩みそうになる。三十一文字の定型世界に生涯に渡って取り憑かれた男の熱狂がひしひし伝わってくるのだ。
 現在放送されている朝ドラの主人公牧野万太郎は植物に惹かれて日本全国の山野を這いずり回る。逆に塚本邦雄はひとり書斎に閉じ籠り、しかし万太郎にも引けを取らない情熱で歌集から歌集へ心を這いずり回し、歴史のなかから歌を拾い集めた。いずれも高等教育を受けていない独学者だ。ここにさかなクンを含めても構わない気もするが、一つのジャンルに特化した情熱の持ち主はその熱量だけで十分才能だ。
 それにしても情熱に裏打ちされた和歌と短歌のこの知識量は接していて妬ましくもなる。これは以前から漠然と思っていたけれど、本書を読んで改めて思った、老後は短歌を中心に自分なりの学びを深めてゆけたらなぁ……と。自作の短歌だけでなく、先達や他者の歌にも自分なりの解釈や感動を要約してまとめ上げる営為。そこにミニマルながらも充実した時間が得られればいいなぁ……。
 今さら塚本邦雄の域に辿り着けないのは勿論承知だ。精々その鳥羽口あたりを行きつ戻りつしか出来ないだろう。それでも構わないのだ。残された時間は、せめて自己満足をどれだけ深めてゆけるか、それだけを大切に生きてゆけたら良い。

 益体もなき身てくてく夕暮れを目伏せてゆけば影法師もゆく。

 ここから始めた我が歌の道。
 ささやかなれどもそれが僕のずっと続いてきた道であり、切実な夢の一つだ。