全十三話の短編が収録された本作。短編の名手がものしたさすがの珠玉揃いだ。日本の短編の書き手といえば星新一のショートショートは別格として、僕は次にこの人を選ぶ。余韻がいつまでも後を引く怪異譚や幻想譚が特に好きで、そういう傾向の著者の作品には大いに魅了されてきた。本作に収録されている作品でそっち傾向は『あつもり草』と『滑る女』、『あやかしの町』の三編か。もう一つ『鯉づくし』を入れてみても四編。その四編も印象に残っている著者の怪異譚や幻想譚に比べるとあやかしの密度は薄く、全体的にはどちらかと言えば、酒場でのやり取りや旅先での出来事が人情の機微も絡めてまとめられた、謂わば市井譚風の内容が多いのが本作の特徴か。その点は少し残念だったが、それでも十分読み応えがあった。甲乙つけ難くどの作品も、「短編とは斯く書くべし!」とお手本として紹介できるほど手慣れた印象。本作に限らず著者の短編でつくづく上手いと感じさせられるのは、作品ごとに蘊蓄が散りばめられていて、それが教養のひけらかしと感じさせず、さりげなく、かつ巧みに物語のフックとして成立させているところだ。
例えば本作だと宇都宮を舞台とした『つり天井』では往時の宇都宮城主.本田正純のエピソードが。
例えば『ルビコンという酒場』ではシーザーの逸話や、かつてルビーの産地であった場所の話が。
例えば『恋の行方』では能登が発祥の地とされる俳句と言葉洒落が融合された文芸だんだらの紹介が。
更には宮崎での旅が描かれた『爪のあと』では先の朝ドラでの貴司くんの本歌取りが話題となった万葉集の名歌「君が行く道のながてをくりたたね焼きほろぼさむ天の火もがも」の紹介が。
といった塩梅。蘊蓄が学びになると同時に物語のフックとしても見事に成立させているのだ。
下手な作家が書く短編はとかく平板に成りがち。しかし著者の短編はこれらフックが上手く機能して奥行きがそれぞれに増し、更には余韻にも繋がっている。阿刀田高の短編から感じ取れる風格や深みは、とかく幼児性が先立つ星新一の作品にはないものだ。勿論これは阿刀田高に比べて星新一は駄目だという話ではない。星新一の最大の魅力がその幼児性にあり、それは逆に阿刀田高にはものせぬ魅力だからだ。
僕が言いたいのは阿刀田高の作風は星新一の魅力とは対極にあり、だから比べる必要のない独自の魅力を燦然と輝かせているということだ。
本作に収録された全十三編。甲乙つけ難いと先にも書いたが、敢えて一作選ぶならば『生まれ変わり』か。新花巻から遠野への女性の自分探しの旅。そこに地元の名士である宮沢賢治や柳田國男、更には柳田國男に作家として世に立つ夢を奪われた佐々木喜善の哀しいエピソードも交えながら、読んでゆくに連れて旅先の風景が広がってゆく。純粋に旅情が一番湧いたのがこの『生まれ変わり』だった。