さらば我が心象の博物館よ! | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 先日の記事でアップした内容と重複するので、ここでは割愛するが、とある理由で以前から、というか開館する前から、妙にその名前、その存在が気にはなっていた安城市歴史博物館。機会があれば一度は訪れたいと漠然と思いつつ、なかなかその機会に恵まれないまま、気がつけば三十年以上、正確に言えば三十三年が流れていた。
 三十三年。さすがに目眩がしそうな歳月だ。その年に生まれた子が普通に結婚して、小学生か、もっと言えば中学生の子どもがいてもおかしくない。三十三年とは、そういう歳月なのだ。
 この三十三年間、僕は一体なにをやっていたのだろう……博物館までの道中で、若干そんなことを思えば心中が暗くなりかけた。いかんいかん。せっかくの春の散策に、わざわざ暗い気持ちになってどうする!……と湧きかけた鬱屈は霞む景色に慌てて葬ったが。
 もちろんこの三十三年間、日夜片時も忘れず博物館のことを思い続けてきたわけではない。たかが片田舎の博物館にそこまでの恋情を抱き続ける変人では、さすがにない。そもそもルーブル美術館なら兎も角、同じ県内にある博物館。その気になればいつでも行けたのだから、気になっていたと言っても、所詮その程度だ。しかし折に触れて思いを馳せる程度には、この博物館が憧憬の対象であり続けたのも確かな気がする。折に触れて思いを馳せて、どんなところだろうとイメージを重ねて、それが積もり積もって三十三年。既に実際の博物館とは凡そかけ離れた、自分の心象にしかない博物館になっている。その自覚は十分あった。それゆえ恐れもあった。三十三年の歳月で育んできたイメージと実際に訪れたその場所とのギャップ。或いはそれに甚く失望するのではなかろうか?
 期待よりそんな恐れが先立つ気持ちでついに現地を訪れてみれば……
 予想通り、それは僕が長年に渡りイメージを重ねてきたそれとは印象がかなり違った。もう少し広い敷地をイメージしていたが、夢想していたそれよりこぢんまりしている。建物も同じくだ。
 それなら失望に捉われたかというと、さにあらず。訪れた最初は、確かに途惑いが先だった。培われたイメージと実際のそれとのギャップに、まぁ所詮こんなものだよな……と気持ちが冷めかけたのは事実だ。
 それでも気を取り直して敷地内の庭を散歩。更に館内に入り、特別展も含むさまざまな展示品を見て回るうち、意外やその充実ぶりに感心したのだ。今回は本證寺とセットで予定を組んでいたので早めに館をあとにしたが、その気になればあと二時間ほど、いや、もっと言えば閉館時間までさほど退屈せず過ごせそうだった。それくらいの充実ぶりだ。実際、本證寺の方があの規模だったら、あと一時間くらい博物館で過ごしてもよかったかな……若干そんな悔いものちに湧いたほどだ。
 確かに長年に渡って培ってきたイメージとは大きく違った。しかしそれが失望には繋がらなかった。ついに訪れた安城市歴史博物館に対する、それが正直な感想だ。面白そうな特別展が開催されたら、又ぜひ訪れたい。今回は常設展の方が時間に追われて、特に後半の展示が慌ただしい鑑賞となってしまったので、それもセットで、もう一度ぜひ。更に同じ施設内の市民ギャラリーで開催されていた地元の美大生らの展示も充実していたので、なおさら今回は満足できた気がする。近くに大きな池のある和める公園があるのも知れたので、いつか機会があれば又、そこも併せて……そう思うに十分の場所。満ち足りた時間を過ごさせてもらった。
 それでも同時に、一抹の哀感が湧いたのも否定できない。そう、三十三年の歳月をかけて築かれてきた我が心象の博物館。ついにそれが、完全に葬り去られてしまったのだな……と。
 十九歳の頃の小池くんの無邪気な笑顔も、いい加減、今はもう遠くなった。葬るべき時に葬るものを葬った。要するにそういうことなのだろう。
 さらば三十三年かけて培われた我が心象の博物館よ! そして、さらば今は亡き友よ!