ねぇTo-y、歌ってる? | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 現在観ている朝ドラ。航空学校編に入って、最も違和感覚えたのが大河内教官の存在。ドラマ内でもしっかり鬼教官という触れ込みで登場したのに、最初から今に至るまで、鬼っぷりちっとも発揮していないのだ。寧ろ感情抑えて、理知的にわかりやすく指導する温厚な教官にしか見えない。生徒を怒鳴りつけて萎縮させる鬼タイプとは真逆の存在だ。
 にも関わらず鬼のイメージで周囲から語られている。観ていて、うん?……となる。指導を受けている柏木学生と岩倉学生が、「このままだと潰されてしまうから、担当教官変えてもらおうか?……」と頻繁に相談し合うやり取りに、こんなに冷静沈着で的確な指導してくれる教官いないだろ? これだからゆとり世代は……と著しく甘ったれているようにしか見えないのだ。
 大河内教官が鬼に全く見えないから生じるこの大きな違和感。この真相が最近ようやく知れた。脚本は昔ながらの鬼教官をイメージして書いてるのに、吉川晃司が勝手にキャラクターを変えて演じているらしいのだ。声を荒げて何かと怒鳴るキャラクターを指示されているのに、その真逆の存在として演じてしまった吉川晃司。それがことの真相らしい。
 その真相を知った時には、流石にそれは駄目だろ?……と舌打ち混じりに思った。吉川晃司が勝手にキャラクターを変えて演じた所為で、ストーリーも構成も完全に破綻してしまったのだ。これは作り手が可哀想。ある程度自分の解釈でキャラクターに肉付けするのは許される。というか俳優のそれが仕事の一つだろう。しかし根本からキャラクターを変えてしまったら、それに合わせて作られている物語が破綻してしまうのは当然の話だ。吉川晃司も今どき時代錯誤の熱血教官を指示通り演じたら、自分のイメージが悪くなると考えたのかも知れない。それなら配役が回ってきた時点で断るのが筋だ。幾ら何でも今回の演技は独り善がりの度が過ぎた。本業が俳優じゃないから上手く演じる必要はない。製作側も吉川晃司の存在感に惹かれて起用しただろうから、演技自体は大根でも一向に構わない。しかし脚本家が造形したキャラクターには忠実に演じろよ。物語を書いている側は、これでは泣くに泣けないだろう。
 正直言うと毎日付き合ってゆく朝ドラで、やたら怒鳴り散らす暑苦しいキャラクターは鬱陶しいかな?……と僕も思う。しかしそこに物語の重要な構成が託されているなら、そこは俳優は忠実に演じるべきだ。特にこの航空学校編に関しては、昭和の古臭いノリを敢えて醸し出している節も感じられるので、ここは大河内教官も作り手の意図するキャラクターで登場してほしかった。昔なら石立鉄雄や風間杜夫。今なら差し詰め香川照之あたりが指示通り演じたら、その臭みがかった演技がキャラクターに嵌まったろう。
 今回の吉川晃司の判断、僕は百パーセント否定する。しかし吉川晃司自体は嫌いではない。今回も又、我ながら取ってつけたようになるのは否めない。しかし事実だ。デビュー当時は色眼鏡で観ていたけれど、その後、独自のポジションにこだわりながら、着実に築いてきたキャリアにはリスペクトしかない。一時は出入り禁止にされていたNHKに今は普通に出演しているのは、それだけ存在が認められているからだろう。勝手にキャラクターを改変して文句が出ないのも、見方を変えれば既に大物の地位を確立しているからだ。
 着実にキャリアを重ねて、いつしか大物の存在感を放っていた吉川晃司。『To -y』ファンとしては彼がモデルとなっている哀川陽司のその後にもつい思いを馳せてしまう。
 あの世界にも流れた歳月のなかで、きっと哀川陽司も芸能界の大御所的地位を確立しているだろう。
 片や藤井冬威は?
 恐らく哀川陽司のような大成は叶わなかったろう。自らその未来を捨てたのだから当然だ。それでも今も生きて、地道にライブ活動を繰り返していてほしい。あの人は今?……の境遇に例えなっていたとしても。
 ねぇTo-y、歌ってる? 五十三歳になった今も。