取り上げられているのは以下の通り。
吉行淳之介「水の畔り」
小島信夫「馬」
安岡章太郎「ガラスの靴」
庄野潤三「静物」
丸谷才一「樹影譚」
長谷川四郎「阿久正の話」
アメリカの学生を前にした講義だからだろう。若い頃は海外の作家しか読んでいなかったことでも有名な村上春樹にしては珍しく、日本人作家で統一されている。しかも傾向にも一貫性があり、いわゆる「第三の新人」とカテゴライズされている作家たちだ。村上春樹が太宰治や三島由紀夫より、ミニマルな日常と内面を淡々と掘り下げてゆくイメージの、この辺の作家に惹かれるのは、気質的に割と納得がゆく。しかし僕はこの辺の作家は実はあまりピンと来ず、今まで何となく敬遠していた一群。日本文学は割と好きな方で、そこそこ乱読していた時期があるので、ここに取り上げられた作家の小説も、それぞれ一作以上は読んでいる。特に吉行淳之介は何冊かまとめて短編集を読んだ時期がある。しかし何れも今は印象に残っていない。この第三の新人の一群は村上春樹に留まらず、文学の目利きみたいな人たちから高い評価を得ているのは承知している。それを踏まえた上で正直な感想を述べると、すべての作品に言えるのは、何れも刺さってくるものがまったく感じられなかった、ということだ。少なくとも僕にとっては……。
しかし今回本書を読んでつくづく思いやられた。あるいは刺さる刺さらないという単純な価値基準でしか作品を評価できない、寧ろ僕が読者として浅すぎるのではなかろうか。もっと深く、細部にまで気持ちを張り詰めた読み込み方をすれば、この一群は太宰治や坂口安吾、更には宮沢賢治といった作家とは又違う、新たな豊穣を与えてくれるのではなかろうか。小説を読むのが好きで楽しくてたまらないという、その喜びが、独自の切り口を語る高揚感と相まった弾んだ調子で展開される、本書の村上春樹の語りにそれを思った。そういえば村上春樹が最も好きな小説と公言している「グレート・ギャツビー」も、実は最初読んだ時はピンとこず、その後、時を経て二度、三度と読み返してゆくにつれ、そこに描かれているギャツビーの悲哀に共感が湧くようになったことも、今ふと思い出した。案外そんな感じで、今ならばこの一群の作家たちの世界も、その良さを感じ取れるかもしれない。特に今回、村上春樹から読み方指南を受けたなら尚更だ。
ここで取り上げられた短編は、残念ながら一作も読んでいない。しかし特にそれは問題ではなく、読みたくなる好奇心が何れも湧いた。取り上げられた短編すべて読んだ上で本書を読むのが、筋としてはベストなのだろう。しかし読みたさを募らせた。それで十分、案内書として優れている。取り上げられている作品が若干少なく感じて、ここに更に遠藤周作と吉田健一の作品が加わっていたら申し分なかった気はする。諸事情により取り上げることを諦めたと後書きでも触れられているが、特にこの一群に遠藤周作が加わっていないのは、ベタな表現になるが、画竜点睛を欠く。