いや、まるで悪口に聞こえるかもしれないが、これは100%完全に褒め言葉。おおらかで下世話な想像力の垂れ流しが、今読んでも良い形で作品の勢いに結びついている。失業中だった戸田がひょんなことから時間管理局のタイムパトロールマンに採用される。瓢箪から何とやらみたいなこのイージーな展開が、逆に、僕の日常にもこんなことが起きるのじゃないか……と中学生当時の僕の夢想に結びついたことも容易に思い出せる。戸田が勤務する時間管理局東京支部の唯一の同僚であり上司にも当たる所長マリは超グラマラス。簡単に肉体関係を結び、戸田とマリは暇な時はセックスに明け暮れて過ごしている。このシチュエーションも又、思春期初頭の当時の疼きをほぐしてくれたことを懐かしく思い出す。僕はこのマリに、当時密かに好意を寄せていたクラスメイトの佐藤ゆきのの面影を重ねながら読んでいたのを今も記憶している。健康印のゆきのちゃんの面影をね。
三十数年ぶりに読み返して、だから今回その懐かしいマリが、第六話で時空間の大洋に流されて、そのままフェイドアウトしてしまったことを知り、「えっ?」と途惑った。最後まで暇な時はセックスしまくりの凸凹コンビとして、物語を戸田とマリが牽引していった記憶を残していたが、古い記憶というものは当てにならないものだ。久しぶりに読み返して思ったのは、恐らくマリが消えた第六話が当初予定の最終話で、残り二話は何らかの事情で付け足されたのではなかろうか? 第六話を最終話とする方が収まりが良いし、残り二話はそれまでに比べて若干構成が散漫な気がする。それはマリが不在の所為もあれば、作者本人がこの物語への興味を失ってしまった理由もある気がする。いずれにせよ、憧れの少女の面影を重ねて読んでいたマリが、まさかこういう形で途中退場するとは全く記憶に残していなかった。今回このハチャメチャな作品に不似合いな哀感を覚えたのはそれが理由だ。
健康印のゆきのちゃんの面影を託したあのマリが、まさか復活することなく途中退場する展開だったとは……。
あるいは中学生当時に読んでいた時も、マリの消滅がショックで、最後まで戸田と丁々発止で活躍する物語に記憶をすり替えた可能性もある。事実と記憶のこういうずれを目の当たりにすると、自分の生きて来た過去、その思い出にどれだけの真実性があるのか、実にあやふやなものだと改めて実感させられる。記憶に関する妙な感慨を覚えながら、懐かしくも楽しく再読させてもらった。
蛇足ながら、あの頃は気づかなかったけれど、あまり文章は上手くない。言葉の組み立てに流れが悪いし、句読点も無駄に多く打ちすぎて洗練されていない。そういうところに気づく程度には、僕もこの三十数年で、洗練された優れた文章にいろいろ接して来たのだろう。想像力や奔放さ、その勢いが、文章の欠点を補って余りあるので、特に気になるわけでもなかったが。