帰路にも楽しむポケモンGO。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 勤務を終えて、自宅までの凡そ5キロの道のりを歩いて帰るのが日課となって久しい。行きは地下鉄を利用。帰りは雨が降っていたり用があり早く帰らねばならない時を除いて徒歩。以前は自転車通勤をしていたが、2016年初頭に今の職場に異動。周辺に自転車を無料で置ける場所がないことで断念して以降は、行きは地下鉄帰り徒歩のスタイルが定着。最初の頃は正直、凡そ5キロは歩くに些か距離あり過ぎる感も覚えたが、今はすっかり慣れた。寧ろ憂鬱な勤務を終えて徒歩で家路を辿る時間は、解放感と共に運動も出来る一石二鳥な、僕の中でとても大切な時間となっている。今の時期は汗ずくずくに当然なるけれど、帰宅後汗まみれの衣服を下着も含めて全て脱ぎ捨て洗濯機に放り込むと、得も言われぬ達成感を覚える。帰宅に徒歩を選択できない日は、既に今は何となく物足りない、寧ろストレスさえ感じるほどだ。
 特にポケモンGOを始めて以降、それが帰路の時間を更に楽しいものとしてくれている。ところどころにあるジムをチェックして、置きポケモンが出来る場合は置きポケモン。既に弱体化している、ここなら簡単に潰せるなって場合はジムバトル。更にはレイドバトルにも参加してって感じ。もちろん野生で出没するポケモンもチェックして、欲しい奴は積極的に取りにゆく。折に触れてポケモンGOをチェックしつつの帰路は、徒歩の単調さから気持ちを紛らせてくれて実に有り難い。特にここ一週間ばかりは普段以上に楽しんでいる。バチュル、アサナン、ズルック、タマザラシ、チルット、更にはミズゴロウ……そう、いずれは育成したいと願っている、又は既に育成済みだが、大層バトルに重宝しているので、願わくはもっと個体値の高い奴を再育成したいと思っているポケモンの進化元が、驚く程たくさん野生で出没するのだ。普段はレイドバトルやシャドーポケモンでしか登場しないヤミラミまで頻繁に出没する。まるで運営が僕の育成計画を察して、その為のサービス期間を与えてくれているみたいだ。この時期を逃す手はないと、こまめにゲットを繰り返しながら歩いている。当然、いつもより帰宅が遅くなってしまう。職場の欠員状態が続き、休みが取れない至って忙しい日々に、一体なにやってるのだろうと我ながら呆れそうにもなる。しかし帰宅が遅くなるのが一向苦にならない。昆虫採集に夢中な夏休みの少年に戻ったかのように、無邪気に野生ポケモン捕りまくって帰路を楽しんでいる。
 もっとも理想の個体値のポケモンは、なかなか現れてはくれないのだが……。
 いずれにせよポケモンGOが今の僕の生活に、ささやかながらも彩りを与えてくれているのは間違いがない。携帯をガラケーからスマホに切り替えて直ぐ始めたポケモンGO。開始日は2018年10月1日。まもなく丸四年が経つことになるが、帰路に限った話でなく非常に楽しませてもらっている。一向に飽きない。大袈裟ではなく本当に、開始以来一日も欠かさずログインして、何らかの形で戯れている。そう、元気な時は楽しく。疲れ果てていたり鬱に苛まれている時は、うつろな心でそれなりに。いつだってポケモンGOは僕の心に寄り添ってくれる。この先も恐らく、サービスが続く限り続けてゆけるだろう。
 恐らくこのポケモンGOって、僕にとっては小学生の頃に怪獣消しゴムを集めて、それを使ってトントン相撲で一人遊びをしていた、その延長にあるのだ。以前どこかで、「小学高学年から中学生にかけて夢中になったものは、一度卒業しても、大人になってから興味が再燃する」って話を聞いたことがあるが、さもありなん。ここ最近、あの頃に夢中だったSF小説を少しずつ又読み返し始めている。一度は否定したあの世界をだ。それと同じくポケモンGOは、既に遊ぶこと叶わなくなった怪獣消しゴムの代用も兼ねている気がするのだ。
 老いて益々かえりたくなる童心に、今後も、願わくは死ぬまで、ポケモンGOには寄り添い続けてほしい。切にそう思う。