阿刀田高『危険な童話』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 全10編の短編集。一人の作者からよくこれだけストーリーテリングのバリエーションが生まれるものだと本作にも感心させられた。
 子供の頃の「死ぬまで友達でいよう」という感傷混じりの友情が、五十歳を過ぎて邪悪なものへすり替わる形で蘇る『藍色の空』。
 人付き合いが不得手で空想家の若い女性が、とんでも本の影響で、自分がキリストの生まれ変わりと信じ込んだことで起こす異常行動『夜の散歩人』。
 今年で五十歳になる男が、人生で一度だけ体験した生きる実感を伴う逢瀬を回想した『涼しい眼』のロマンチシズム。
 朝に金魚の死骸を見て、その後、蛇、野良猫、猿、と種が高度になる形で死骸を目撃する男。次第に、最後は身近で誰か人が死ぬのじゃないか?……と根拠なき不安に怯えるようになる『法則のある死体たち』。
 まだ引っ越して来てまもない自宅の近所を子供の頃を回想しながら散歩していた老人が、次第にあやかしに絡め取られてゆく展開が、読んでいて妙に心地よい『戻り道』。
 深く考えず結婚した相手が見栄っ張りの怠け者。魔が差したなぁ……と後悔の結婚生活を送る男の鬱屈。やがて、その鬱屈が積もりに積もって……『女に向かない仕事』。
 時空がねじれたような場所に迷い込み、誰もいないはずの自宅の窓に灯るあかりを途惑いがちに見つめる男。その心情に妙な魂の孤独を感じる『窓の灯』。
 旅の道連れとなった女の微妙にちぐはぐな人間性が、旅情のなかで浮き彫りとなることで、最後の惨劇のリアリティが増す『越前みやげ』。
 二月二十二日だけは他の女と寝ないで、わたしのために取っておいて……死んだ女とのピロートークでの約束を破った遊び人の男に迫り来る不気味な『蛇』。
 不倫の現場を少女に目撃された女が、危うく赤ずきんちゃんを襲う狼になりかける『危険な童話』。
 簡単に全10話のあらすじを書き並べてみた。あらすじだけでも、そのバリエーションの豊かさは感じ取ってもらえるだろう。一人の人間の想像力が、これだけ変化に富んだ形で次から次へ提示されたら、十分それだけで賞賛に値する。星新一の千編までには至らなかったが、九百編近く、この手の奇妙な味わいの短編をものにしていると知れば尚更だ。文章は緻密に書き込まれた名文というわけではないが、さらりとした書き味のなかで、行間に不思議な広がりを感じさせる。読後の余韻も然り。文章そのもので与えられる情報量以上に艶っぽい豊かさを感じ取れるのだ。阿刀田高の短編およびショートショートの、この辺も不思議なマジック。魅力の一つだ。
 千編とか九百編とか今更そんな無謀を言うまい。しかし残り余生で、僕もこの手の短編をせめて10編ものせたら……。
 読後、溜め息混じりにそんなことを思った。
 しかし僕は持って生まれた鬱気質。この先、ますます老いて気力も衰えてゆくなかで、端から鬱に苦しむばかりの僕に希望などあり得ない。淡い願いも、どだい叶えられそうもない。憧れは憧れのままに、才気溢れた作家が与えてくれる、こういう物語を楽しむだけで良しとしよう。
 今回も阿刀田高に慰みを与えてもらった。激しい鬱に陥っていた時に寄り添ってくれた本書に感謝する。