阿刀田高『楽しい古事記』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 日本最古の書物である古事記。にも関わらず源氏物語や枕草子以上に、普段あまり関わる機会のない世界を、実にわかりやすく紹介したエッセイ。いつか古事記の世界に僕も挑戦してみたい。若い頃はそんな淡い野心も抱いていた。しかし身の程わきまえた今は到底そんな気力は湧かない。古事記を実際に読む機会など、今後も死ぬまで訪れることはないだろう。そんな僕にも楽しく読める入門書の更に初歩的内容。例えば古事記序盤の特徴の一つである、長ったらしい登場人物の名前。これもきちんと学ぶと無駄に長ったらしいわけでなく、きちんとそこに意味を汲み取れるらしいが、本書では全て割愛。他にも退屈なだけで面倒な箇所は触りだけ紹介して、物語性があって面白い箇所や、艶っぽい猥談めいた箇所を主に紹介。文章も学術張った堅苦しいものでなく、大衆作家の緩いそれだから、肩肘張らず神話の世界と戯れられる。ギリシャ神話の途方もないイマジネーションの広がりは感じられない。しかし物語の原初の魅力が散りばめられた、十分これ豊穣な世界に感じられた。筆者が実際に伝承の地を訪ねて、その見聞を交えて紹介するのも、そこはかとない旅情が感じられて心地よい。神話や歴史に出逢う旅に僕も俄然出たくなった。
 古事記の本質を要約するキャチフレーズとして、「殺して」「歌って」「まぐわって」と本書は掲げている。言い得て妙だ。現代の倫理観からは到底許容できない性交と殺戮の繰り返し。剥き出しでは目も当てられない醜悪な人間の欲望や劣情を、おおらかな歌を基調に据えて、神話的正当性で誤魔化しつつ築かれた世界。そして正当性の物語の裏に潜むのは、権力者、ここでは大和朝廷の残虐性、更には暗殺や内ゲバもイメージされる陰惨な内部闘争だ。それは今年の大河ドラマが描く黎明期の鎌倉政権と相通じる世界だろう。古事記は修羅場を神話で格調高く様変えようとした。三谷幸喜は現代の倫理観も交えたコメディーに置き換えようとした。古事記も大河ドラマも、しかし巧妙なストーリーテラーでも統御できずはみ出してしまう権力闘争の醜悪さに、人間の業、その哀感めいた魅力を感じる。  
 古事記の世界でも鎌倉殿の13人の世界でも繰り返されている仁義なき戦い。
 その時代その時代の倫理観を剥ぎ取ってしまえば、昔も今も人間の本質などそうそう変わらないと何れも実感させてくれる。