僅か十六歳で自ら命を絶たねばならない大望とは? | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 御在所山上をロープウェイで訪れる。
 日帰り温泉を利用する。
 夜勤明けを利用した湯の山温泉散策で、せっかく訪れたのならば、せめてこれだけは……と思っていた二点をクリア。十分もう満足したので、バス停前の、昔訪れた時、香とお揃いのマグカップを購入したのは確かこの店だったような……という店でK子への土産を購入。それを締めに、この日の散策これでもう終了としても良かった。しかし若干まだ時間に余裕があったので、少し遊歩道沿いを散歩した。
 前回訪れた時には見落としたのか、或いは接したものの興味の対象外で、直ぐに忘却の彼方に葬られたのか、何れかは知れぬが、この遊歩道も初めて訪れたかのように新鮮。巨大な石がごろつく狭間を縫うように清らな水が流れる川も、所々に点在する記念碑や石仏、更にはすっかり荒れ果てて、今はとても歩ける状態ではなくなっている寺の境内の散歩道とか、あれこれ物見遊山すれど、一向に記憶が蘇らない。ここまで記憶は失われてしまうものかと愕然とするばかり。しかし香との会話とかやり取りはまだうっすら思い出されるので、要は当時の僕は香と一緒に過ごすこと自体が大切で、それに夢中で、景色に気持ちが向かっていなかったのかもしれない。だから風景と記憶が一向に結びつかないのだ。そう考えると当時の自分の青い心がいじらしくも感じられる。こんなに青々と美しい世界に寄せる余裕もなかった当時の自分の若い心が……ね。
 あれから三十一年。その間に香はこの地を再び訪れる機会はあったろうか? もしも訪れる機会があって、その時少しでも僕との思い出が蘇ったろうか?……そんな感傷にふと捉われかけたが、知る術も今はない事に思いを馳せても栓もない。初めて接する風景と今は割り切って、新たな気持ちで遊歩道の散歩を楽しんだ。
 赤穂浪士の討ち入りで有名な大石内蔵助の所縁の地であるらしく、それに纏わる碑やエピソードを紹介した案内板を幾つか見かけた。説明板によると大石内蔵助の主君、つまり、これ又赤穂浪士の事件での重要人物である浅野内匠守の実弟の奥方が、この地の藩の姫君だったらしく、その縁で大石内蔵助も、参勤交代の途中で湯の山の地をよく訪れたらしい。討ち入り前の密儀にもこの地を利用したという。殆ど名前と掛け合わせた洒落のようにも聞こえるが、昔からこの地に祀られた大石に内蔵助が親しんだのは事実らしい。実際その大石と僕も暫し戯れたが、長年ここに不動の石として存在したことに思いを馳せると俄然親しみが湧く。そこに手を置き、やがて無へ拡散される己れに思いを馳せ、「忘れないでください」と語りかけた。僕の死後もここに不動で存在するであろう、大石内蔵助もその生前に語りかけていたであろう、その石にね。
 血肉を持つ存在より鉱物の方に親しみを持つ気質はある。昼行灯と呼ばれた大石内蔵助も或いはそんなタイプだったかもしれない。そう、武士の義に絡め取られねば、恐らく討ち入りなどしたくなかった気がするのだ。きっと主君の浅野内匠守より、寧ろこの大石の方に親しみを抱いていた。何となくそんな大石内蔵助の人柄に思いを馳せた。
 まぁそれでも内蔵助は遊蕩にも耽り、この世の酸いも甘いも嗜んだ上で逝けたのだから、まだ良い。更に切ないのは討ち入りに最年少で参加した息子の主税だ。

 (前略) 
 ある日討入りを決意するに至る片岡源五右衛門からの手紙を受け取った内蔵助が長い返書を書く間、主税がおぼろ月夜に誘われて戸外に出ると夜目にも美しい乙女に出逢った。どちらからともなく話しかけた二人は、せせらぎのやさしい音に誘われ、いつしかこの橋のたもとまで来ていた。短い逢瀬を楽しんだ二人は再会を約して別れたがその後逢うことはなかったという。大望を抱く身の主税にとって、それ以上の深まりを避けたのであろうか。
 元禄十六年二月四日
 主税十六歳で切腹。
 彼の短い生命の中に咲いたたった一つのロマンである。

 誘橋慕情と題された立て看板に書かれたエピソード。このエピソードにしみじみ思った、十六歳のみそらで自ら命を絶たねばならない結末へ導く大望とは?……と。
 そんなものはクソ喰らえ。生きてこその華なのだ。
 僅か十六歳で死を遂げず、生きて生きて歳を積み重ねることで、少年時代の一夜の淡いロマンも、記憶の中で更に発酵、味わいが増したかもしれないのに……
 若く美しく散る美学など、周囲が感傷をそこに委ねて勝手に崇めるだけで、当人には何の益もない。この世にせっかく生を受けたならば、生きられるうちは生きた方が良い。長く生きればそれだけ悟りに至れる可能性もある。長く生きることで積み重なってゆく記憶が、古い記憶を発酵させて味わいを更に増すこともある。こればかりは生きてその境地に達してみなければ実感を得るのは難しいだろう。
 よせばよかったのに若くして討入りに参加した主税。国に踊らされて太平洋戦争に散ったあまた日本男児。皆、全く美しくない。青春の思い出を発酵させることも出来なかった、しょーもない憐れ犬死だよ……。
 どんなに惨め卑小な人生でも、生きている間は、それでも何か得られる可能性はある。そう、生きている間は……ね。
 己に言い聞かせるようにそんなことも思いつつ、再びバス停の前に戻ると、既に土産物屋はシャッターを下ろしていた。五月下旬だったので、日はまだ暮れていなかったが、さっき土産を買ったその店が既にシャッターを下ろしている様に、妙に寂寥がいや増した。充実したよき一日だったので、尚更その寂寥が身に沁みた。