日本語が熟れてゆきます うすあかりする古書店の春の詩集に (筒井宏之) | 春田蘭丸のブログ

春田蘭丸のブログ

願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 寒くて暗い地下の職場で、こっそりスマホでTwitterのタイムラインを覗く。そこに救済の如く拾ったのが表題の歌。その穏やかで豊かなイメージに心ほぐされ、思わず深々と溜息をついた。四角張った漢字が凝縮されているのに、その印象はとても柔らかい。と同時に、四角張った漢字がもたらす安定感が、どっしりとした密度も与えている。目に心地よく、読んで癒される歌だ。触発されて、昔ながらの古書店を訪ねたくなる。そこに並ぶ古い書物が各々語りかける歳月に、束の間なりとも日常を忘れてトリップしたくなる。自宅に引きこもり詩集を何冊も読み返したくもなる。そこに改めて日本語の豊穣を感じ取り、生きる喜びを蘇らせたい。「頑張って生きていれば、きっといつか良いことがあるさ」とか、「君のことを理解してくれる人が、どこかにいる筈さ」とか、そんな浅はかなメッセージ性はもう必要ない。意味を必要としない、純粋な言葉の質感の豊かさ、美しさ……今の僕に生きる糧を与えてくれるのは格言めいたそれではなく、言葉の質感そのものの気がするのだ。拡げたその詩集に春を感じ取れたら尚更よい。冬季鬱に苦しむ今の僕にとって、言葉の質感を通して、目の前に春の豊かさ美しさが広がってゆけば、それがどんなに救いとなることだろう。そこに慰みと励みを見い出し、騙し騙し、今を耐えていれば、やがて僕を生に繋ぎ止めてくれる本当の春も又訪れるさ……。
 懸命に自分にそう言い聞かせて、今は震えながら地下の寒い薄明かりの中にいる。暖かい部屋で一息吐きたい。鍋でも突いて酒でも飲みたい。適度な酔いで睡魔が訪れれば良い。そのまま泥のように眠りたい。やさしい夢をいつまでも流離っていたい。そして長い眠りから覚めたその時には、なぜか職場からも社会からも解放されて、まっさらな自由を手に入れていたい。そこから詩を、歌を、改めて学び直すのだ!……
 あまりにも寒く仕事が辛いから、思わず手に入らない願望へ又逃げ込んでしまう。せめて春にほぐされて、もう少し夢想にもゆとりが生じたらいいのに……ふと我に返って、侘しくそんなことも思う。
 それにしても今期この冬は寒さが特に厳しいな。ここ数年、割と暖冬が続いて有り難かったけれど、今季は久しぶりに冬が底意地悪さを取り戻している。生きているだけで精神が寒さに削られる、そんな日々だ。せめて少しでも長く寛ぎの我が家に過ごしていたい。冬ごもりに春待つ心を震わせていたい。それなのに、こんな時期に同僚が一人ダウン。長期欠勤となり、今その代理勤務が立て続いていて、休みが全く取れない惨状。只でさえ寒さに抉られて痩せ細った心が限界を訴える。これ以上もう耐えられない……お願いだから、もう逃してよ! 
 折れそうな心で『春と修羅』でも読み返そうか? そして、まだ遠き春を希う。