このまま小木さんとの縁は切れてしまうのだろうか。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 先日の京都旅行は二日間に渡ってサイゼリヤを利用させてもらって大変有り難かったが、サイゼリヤに纏わる楽しかった思い出として、どうしても小木さんを思い出して一抹の切なさが湧いてしまった。
 そう、去年の八月、お互いの勤務明けを利用して行った小木さんとのサイゼリヤでの会食。
 あれ、楽しかったなぁ……
 記憶を紐解いてみれば、元々その日は夕方からの約束だった。しかしLINEのやり取りで日どりを決めたその後、じわりじわり感染が拡大していったコロナ。それで一度「どうしよう?……」ってなり、「じゃあ今回は中止で、又、落ち着いてから……」と確かなったのだ。
 しかしその後、小木さんの方から再度LINEが届き、「勤務明けを利用して、朝から軽くって感じでどうですか?……」と。
 それで互いの勤務明けが重なったその日、開店早々の10時からサイゼリヤに入店。軽くって感じの筈の、久しぶりの小木さんとの飲み会を実施した。
「何が軽くだ……」
 帰宅後、一人ボソッと呟いた記憶が残っている。〜部屋の電気を点けながら……ね。
 そう、帰宅したのは既に夜。
 そもそも小木さんとの飲み会で、しかも久しぶりの飲み会で、本当に軽くで済むのだろうか?……という懸念は初めからあった。
 しかし、まさかここまでになるとは……。
 そう、サイゼリヤを利用したその日の飲み会は、開店早々の午前10時に入店。精算して店を出たのは午後7時過ぎ。つまり9時間、ぶっ続けで一つの店に居座って飲み食いしていた、やりすぎ感ここに極まる飲み会となったのだ。
 流石にこれは……もう少し考えないとな……という反省の気持ちは少し胸中に滲んだ。しかし若干湧く後ろめたさは高揚感があっさり掻き消してしまう。
 途切れなく続くお喋り。
 どれだけ飲んでも悪酔いしないアドレナリンの放出。
 決して無理やり9時間付き合っていたわけではない。それは小木さんとて同じと思いたい。
 そう、気づけば9時間、あっという間に過ぎていたのだ。
 つまり楽しかったのだ。凄く凄く楽しくて、とても満ち足りたぶっ通しの9時間。簡単にそれを否定したくはない。そして、ここまで極端な飲み会は初めてだけれど、いつも逢えば楽しく過ごせる小木さんのことをとても大切に思う。感謝している。
 干支が一巡して更に七ヶ月を過ごした職場を追われた際、その後任として現れたのが小木さん。引き継ぎの僅か一月ほどを一緒に仕事しただけだが、妙にウマが合い、連絡先を交換した。以来6年、互いに連絡を取り合い、年にニ、三回ペースで会っている。僕の方が歳上という形で年齢差が10。しかし凄く話が合って、小木さんとの飲み会は大概二人でとなるが、気詰まりな沈黙に陥ることは一切ない。丁々発止で会話のラリーが続く。他にも飲み仲間、遊び仲間はいるけれど、小木さんほど心置きなく、話が合う相手は早々いないと思う。まぁ小木さんがおじさんに話を合わせてくれている面はあるかもしれない。それならそれを踏まえて、とても感謝しているし、今の僕にとって、かけがえのない、とても大切な相手だ。
 そんな相手である小木さん。しかし或いは小木さんは、僕と今後、もう付き合ってゆくつもりはないのではなかろうか?……そんな懸念が今胸中に湧いている。
 小木さんが会社を辞めた……
 その話を聞いたのは今年一月の下旬。共通の知人からだった。昨年末を最後に、今年に入って、持ち場の勤務地に出勤していないそうだ。
 え?……
 その話を聞かされた時、僕は困惑した。いや、小木さんが一昨年辺りから本部と深刻に揉めている話は本人からも聞いていたので、退職そのものにはさほど驚きはない。しかしそれを本人からではなく、こんな風に間接的に知らされた、それが納得ゆかなかった。〜なぜ小木さんはそれを僕に伝えてくれないのだろう……と。
 その共通の知人も小木さん本人から知らされたわけでなく、小木さんの勤務地の同僚に知り合いがいて、そこを情報源に知ったという。何でも急な話で、クリスマス頃に行われた本部と小木さんとの話し合いが決裂。そして大晦日を最後に小木さんは、勤務地の同僚にも挨拶なく、翌年、つまり今年になって一切出勤しなくなったのだそうだ。
 ということは元旦に新年の挨拶が届いた時、既に退職が決まっていたという事か……
 しかし小木さんから届いたそのLINEには退職の報告は一切綴られていず。あくまで当たり障りのない新年の挨拶のみだった。そして小木さんからのLINEは今年に入ってから、その新年の挨拶のみ。それまではちょくちょく小木さんの方から他愛のない内容のLINEが来ていたのに、全く来なくなっていたのだ。その時までは、たまたま間隔が空いているだけだと気にも留めていなかったが、或いは……
 共通の知人からその話を聞かされた直後、僕は小木さんにLINEを送った。あくまで退職の件はまだ気づいていないていを装い、当たり障りのない内容を……
 小木さんから返信は来た。
 しかし、やはり退職の件の報告はなかった。あくまで当たり障りのない内容に対しての、当たり障りのない返信に終始していたのだ。
 以来この記事を綴っている3月28日現在まで、もう二ヶ月、小木さんからの連絡はない。僕も何となく気が引けてLINEを送っていないが、或いは退職を機に、僕との交際も断とうと思っているのかもしれない。
 明日、小木さんとの共通の知人と花見を行う予定。それを話題の種に、近く小木さんにもう一度LINEを送ってみようと思う。そして、「たまには僕らも逢おうよ……」と誘ってみよう。
 しかし、何となくだけど当たり障りのない形で断られそうな気がする。そこでもしも断られたら、〜あ、そうなんだ。退職を告げることなく、もう僕との縁も切るつもりなんだ……と諦めざるを得ない。迷惑がられるのを是としない。その時点で、僕も潔く小木さんへ連絡を送るのは止そうと思う。
 しかし願わくは、いや、切実に、今後も小木さんとの付き合いは続いてほしい。あのサイゼリヤでの9時間ぶっ通しの歓談を筆頭に、あまりにも小木さんとの思い出はきらめき過ぎている。〜会社での縁が切れた。はい、それまで……って、それじゃあ、あの楽しかった時間は何だったんだ?
 新たな生活を築くのに懸命で、LINEを送る余裕も今はないだけ。決して縁を切ろうと思っているわけではない。……そう信じていたい。
 光浦のとき味わった痛みを、また小木さんで味わうのは、本当に、もう勘弁してほしい。