Twitterで話題に上げている人がいて懐かしくなり再読。久しぶりに読み返したが、相変わらず素晴らしい。装飾の一切省かれた要を得て簡潔な文章でまとめられた、古今東西から集められた92編の短い怪奇譚。その全てが珠玉であるのは勿論、不思議なのは愛嬌を一切感じさせない文章に関わらず、読んでいると妙に刺激を受ける処だ。これは以前読んだ時にも得られた感触だが、今回も又、本書からのインスピレーションで、自作の詩や短歌が幾つも紡ぎ出された。本書の中の一編の短文が、妙に僕の中の創作意欲を小突くのだ。短文の物語の中に文学の本質が凝縮された形で詰まっている証左だ。
物語の精髄まさにここにあり。
一つだけ不満を述べれば些か分量が少なく感じられることだ。この倍の、200編くらい収録されていたら大満足だったろう。しかし物足りないと思えるこの分量だから、或いは身悶えんばかりに愛しいのかもしれない。
日本人の物語も一編だけ取り上げられていたので、本書の魅力を紹介する意味合いで、その一編をここに紹介しておく、
『七歳の頃から、わたしはものの形を描きたいという衝動を感じた。五十歳に近くなって、描きためた絵を発表した。しかし七十歳以前に仕上げたものには何ひとつ満足していない。やっと七十三歳になって、およそではあるが、鳥や魚や草花の真の形と本性を直観できるようになった。したがって、八十歳になったら長足の進歩をしているはずだ。九十歳では一切のものの本質を見抜くであろう。百歳になれば、さらに高い、名状しがたい状態に達するのは確かだ。もし百十歳まで生きるなら、一切が、ひとつの点から一本の線にいたるまで、生命をもつであろう。わたしと同じくらい長生きする人たちに、わたしがこの約束を果たすかどうか確認してもらいたい」
そう、画狂人北斎の、己の画業への狂おしい思いが述べられた日本人には割と有名なエピソード。これは別に怪奇譚じゃねーじゃん!……という思いも湧くが、老いてなお、ここまで一途な求道の意志を維持しているそれ自体が、或は怪奇譚として採用されたのかもしれない。
八十九歳まで生きた葛飾北斎の、その晩年がピークと重なった画業は、確かに十分これ怪奇譚だ。