其子等に捕へられむと母が魂(たま)螢と成りて夜を来たるらし (窪田空穂) | 春田蘭丸のブログ

春田蘭丸のブログ

願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 神経が参るような苛立ちの中、疎外感しか味わえぬ職場で、こういう歌をTwitterにそっと拾うと、母が恋しや……と余計に切なさが募る。僕が暮らす世界には螢など夏が来ても飛ぶ筈もないが、仮に黄金虫に魂を宿して母が尋ねて来ても、捕まって遊んであげる無邪気な子供の姿など、どこにもない。老いた息子が相変わらず侘しく一人暮らす姿を見るのみだ。
 子孫を未来へ繋げなかった事を申し訳なく思う。心から申し訳なく思う。
 こんなうだつの上がらぬ息子が一人暮らす煤けた部屋など、わざわざ訪ねても張り合いがないばかりだろう。
 しかし、それでも盆が来たら、魂を何かに乗せて、また尋ねて来て欲しい。別に盆に限らず、いつだって気が向いたら尋ねて来てほしい。今の季節は魂を乗せられる虫も見つけ難いだろう。それなら夢のルートを辿って尋ねて来てくれたらいい。
 先日、夢に母が現れた。夢の中で母は、僕の為におにぎりを結んでくれた。一個の大きさがコンビニおにぎりの倍ほどはある、塩気の利いた、母特製おにぎり。……
 育ち盛りでもあるまいに、本来なら一個も食べれば、もう十分の筈。しかしその夢の中で子供に還っていた僕は、母が軽やかな手捌きで握ってくれるおにぎりを、三つでも四つでも幾らでも頬張る事が出来た。
 寒波に骨身が軋む夜に、それは、やさしく温かい夢だった。目覚めて夢である事に気づき、まだ半分夢の世を流離う心にどっとさみしさが募り、思わず知れぬ涙が滲む程にね。
 でも確かに、僕はその夢に心救われたのだ。
 幾つになっても駄目な息子を心配して、こんな風に夢のルートを伝って、ちょくちょく尋ねて来て欲しい。もう夢の中でしか味わえない、お母さん、あなたの手料理を、そう、何度でも……。
 願わくは死の際の最後に見る夢の中で、母よ、あなたの手作りカレーライスが食べたい。それが今生の、僕の最後の晩餐となれ……と切に願う。