混乱の中で安定する精神 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 今年の大河ドラマ『真田丸』で、今一つよくわからなかったのが、寺島進が演じる出浦昌相のそのポジションだ。真田昌幸に密接な距離感で忠義を重ねながら、それでいて質実剛健な誠実さとはかけ離れた不気味な存在感を放っている。物静かで寡黙なキャラクターなので、なかなその真意が掴めなかったが、最近ようやくその真意が表に現れ始めてきた。要するに出浦昌相のその資質は義とも理念とも無縁のテロリストなのだ。世の中が次第に秩序立ち、安定の元に平和が築かれゆくのが我慢がならない、「乱世にしか生きられぬ男もいるのだ……」と。だから何かと機会を窺っては秀吉を討とうと昌幸やその息子・信幸に発破を掛ける。秀吉をいま討てば、また乱世に逆戻りして己が生き生き輝けるからだ。
 真田が相当ヤバい状況に陥っても、それでも出浦昌相が今の今まで離反の素振りも見せず昌幸に忠実に従っていたのは、「この男の下に就いていれば面白おかしい戦が出来る」という期待に胸ときめかす事が出来たからなのだと思う。しかし昌幸に今さら秀吉に反旗を翻す気がないと知れたこの頃は、出浦昌相の昌幸への気持ちも幾分離れて行っている印象も受ける。出浦昌相にとって、目先の損得や、もっと言えば命よりも大切なものがある。それは忠義の心であり、人からの信頼であり、名誉であると思っていたが、出浦昌相にとっての大切なものはそれ以上に、極限状況下での刺激であり、生きる実感なのだろう。
 だけど乱世が次第に平定されてゆくこの時期、自分の生き場所が次第に奪われてゆくような焦燥と悔しさを感じていたのは出浦昌相だけじゃなく、少なからずいたのだろうな。それが例え平和へ向かってのシフトチェンジであっても、世の中の大きな変わり目の際には、その変わり方に上手く乗り切れず、時代を恨む輩は大勢現れるものだ。他人事のように語っているけれど、僕も或いはその中の一人なのかも知れない。