大河ドラマ『真田丸』(第二十三回)。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 今回の小田原城攻めの感想で、↓の意見をツイッターの呟きに拾った、

21万ってピンとこないけど三帝会戦のロシアオーストリア軍が8万元寇の元軍が15万コンスタンティノポリス攻略に使ったオスマン軍が20万はっきり言っておかしいしこりゃ唐入り考えもしますよ

 参考になる呟きだ。しかしこう考えるとやっぱり21万というのはちょっと異常だよな。戦(いくさ)は二の次。天下統一を目前に控えた秀吉の威光を世に知らしめるのが一番の目的だったのだろう。
 しかし秀吉本人が浮かれている程この小田原攻めが鼻歌交じりの気楽な戦(いくさ)だったかと言うと、どうもそういう訳でもなく、一つ間違えれば北条方に勝ち目が転んでもおかしくない危うさを孕んでいたのも事実だったみたい。まず二十一万の大軍を賄える兵糧が不足していて、長期戦になればなる程、足軽などの末端の兵から逃亡者が相次いだという話を伝え聞く。伊達政宗が北条に就くか豊臣に恭順の意を垂れるか、その辺でパワーバランスも変わってくる。伊達が北条について、更に徳川や上杉が豊臣を寝返って北条についたら、他の大名の動向もどう転ぶか知れたものではない。豊臣の権威は既にこの時点で、いつ土台が崩れてもおかしくない危うい均衡で成り立っていたのだと思う。北条氏政は豊臣の大軍が持つその辺の脆さを過敏に感じ取って、意地を張ったのだと思うけれど、些か時期がまだ早すぎた。豊臣に恭順する悔しさより、寧ろ、豊臣の配下に付いた際の扱いが、上杉や徳川より格下に落とされる事の屈辱を受け入れられずに逡巡している内に、にっちもさっちもゆかなくなってしまった……という事なのだろう。
 氏政がつまらぬ自尊心を捨てて屈辱を堪え忍べるだけの度量を持ち合わせていたら、北条が扱いが小さくされても滅亡せず生き残っていたら、或いはその後の歴史は些か毛色の違うものになっていたのかもしれない。~高嶋政伸が自惚ればかり強い暗愚が、徐々に精神的に追い詰められてゆく様を好演している。