都市生活者の夜。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 本日で1月が終わる。流石に今月ばかりは、「あっという間に過ぎ去った…」という感慨とは程遠い。前の職場の屋上から最後の勤務終了間際に眺めた夕陽が、遥か昔の情景のように今では遠い。覚悟はしていたものの、それ以後に待ち構えていた怒濤の日々に対処するのに必死で、過去を振り返る余裕も、物思いに耽る暇も、これっぽっちも持てぬ今日この頃だった。
 それでも、「一日、今日の一日をしっかりと……」と何度も自分に言い聞かせながら生きていれば、確実に時は流れてゆく。今はこの鈍重な時の流れを懸命に味わいながら、この日々を乗りきる……それだけを心がけて生きてゆこう。
 今月デヴィット・ボウイ以外で一番多く聴いた曲がこれ、
https://youtu.be/kHGYrhqno3g
 そう、じゃがたら『都市生活者の夜』。
「この夜を燃やし尽くしちまおうぜ!」と歌ったジム・モリソンの格好よさとは対極の夜を描いた歌だと思う。どこまでも不様で、どこまでも泥臭く、どこまでも不器用な、思わず目を背けてしまいたくなる一人の弱気で冴えない都市生活者の夜。持って生まれた性格悲劇の為に、孤独と絶望に呑まれそうな夜を幾度も繰り返し、それでも、朝焼けを待ちわびながら終わりのないダンスを続けてゆこうとする意志。……この三十年近く、この、どこまでも優しいジャンキーの歌声に、一体どれだけ慰められ励まされた事か。感謝しても感謝し切れない一曲だ。
 そうして今なお……
 そう、今の僕が必要としているのはジム・モリソンが歌い描いた水晶の美しい夜でもなく、この夜を燃やし尽くす勇ましい意志でもない。孤独と絶望の夜の中で、それでも、「笑顔のあの娘」とか、「子供たちの明るいざわめき」とか、「僕のゴール」とか、それは着実に一日を乗りきる繰り返しの中で、もしかして待つかも知れない、そんな儚き希望を、それでも夢見続ける切実な意志の歌なのだ。