映画『許されざる者』。 | 春田蘭丸のブログ

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 録画してあったデンマーク映画『許されざる者』(2012年)を観た。
 とある田舎町の幼稚園で雇われ保父として働く中年男性ルーカスが、園児の少女が園長の前で何気なく呟いた一言で、瞬く内に変質者に仕立て上げられて閉塞的な町の住民から迫害を受ける内容なのだけれど、主人公ルーカスの屈辱と受難の日々があまりにも不憫で、観ているのが凄く辛く苦しかった。それでいて目を逸らす事を許さぬ緊迫感が全編にみなぎっていて、重苦しいながらも最後まで一気に観通してしまったものだ。
 下世話な感想になってしまうけれど、この映画で一番罪深い存在はどう考えても園長の婆ぁだろう。少女のクララは元々ルーカスに好意を寄せていて、しかしクララの好意の中に彼女も無意識の性的ニュアンスを感じ取ったルーカスはその好意を巧みにはぐらかしていたのだ。しかしそのはぐらかしが面白くなかったクララはちょっとした悪戯心で、「ルーカスにおちんちんを見せられた……」と園長の前で嘘の告白をしてしまった。園児を預かるプロなら、普通その時点で判断を保留して、暫く慎重に様子を見るべきだ。しかしその時点で頭に血を上らせてしまった園長は、もう端からルーカスが性的悪戯をしたものと決めて掛かった視点から、クララに事の真相を尋ね追求して行ってしまう。事態がちょっとした悪戯心では済まぬ方向へ発展してゆきそうな雰囲気を察したクララが、「実は嘘だった」と困惑ぎみに告げているにも関わらず、その困惑した表情をルーカスに対する怯えだと決めつけて、嘘だというクララの告白自体も端から嘘と決めて掛かるのだ。そして自分の妄想と辻褄が合う方へ巧みにクララの発言を誘導して行ってしまう。園長のあまりの愚かさ、理不尽さに、「どうしてそうなるんだよ!」と思わず液晶画面に向かって毒づいてしまった。そう、それがフィクションである事も束の間忘れてね。
 まぁ要するにそれくらいリアルな緊迫感が漂う優れた内容の映画だったのだけれど、今の僕は正直こういう観るのにストレスを覚える社会派ドラマより、完全に現実逃避させてくれる他愛ない娯楽映画の方を求めているのだけれどね。
 最終的にはクララの嘘に父親が気づき、ルーカスの冤罪も晴れて、観ているこちらもホッと胸を撫で下ろすのだけれど、それで、めでたしめでたし……という気分にはならず、何処か釈然としない後味の悪さは残ってしまう。もちろん映画がそこまで描く必要はないのは百も承知で、こんな風に思いを馳せてしまう、ルーカスを一方的に断罪して辱しめ迫害した町の連中、特に園長の婆ぁは一体どう償いをしたのだろう……と。そしてルーカスの心情と同化して、お前ら絶対に許さねーぞ!……という憎悪の念もふつと湧く。
 要するにそれだけルーカスに心情移入して観ていたという事で、この映画が、一人の愚かな思い込みに如何に周囲が簡単に染まって集団ヒステリー化するか、また如何に一人の男が冤罪の罠に陥れられるのか、その辺を丹念な脚本と巧みな構成で描いた佳品であった事は間違いない。
 しかし観ていて凄くストレスが溜まったな。良い映画とは認めつつ、この映画も一期一会で構わない、もう二度と観ないぞ……と硬く心に誓うのだった。
 気力も体力も充実していた若い頃なら兎も角、今の僕は、せめて映画くらいは寛いで観られるものを求む。