みじめなる日日といふとも学びたき物多くして時を惜しみつ(高安国世) | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 勉強したいな……
 日々の折々に、近頃ふとそんな事を思う束の間が多くなった。だけど一体なにを勉強したいのか、と問われれば、「……」となるしかない。↑に掲げた歌のような真摯な思いからではなく、僕の場合、単に惨めな日々からの現実逃避に「勉強」というイメージを利用したいだけなのだろう。
 要するに知的好奇心を満たす「勉強」というイメージは、所詮、無学で頭も悪い男の憧憬に過ぎないのだ。
 そこまで自己認識が至っているのならば、いい加減あきらめろや……と我ながら思う。しかし往生際悪くあがく気持ちが胸中に燻ぶり続けて、いかんともし難い。あきらめきれぬ心が、勉強したいな、勉強したいな、勉強したいな……と季節の経めぐりの中で繰り言の如く切々と訴えかけてくるのだ。
 という次第で来年は表題に掲げた歌をわが一年のテーマとして意識してゆきたいと思う。来年早々いきなり職場が変わり、ある程度リアルの方も力まねばならぬ年になると思う。そう考えると、どれだけの時を惜しみて学びに充てられるか甚だ心許ないのだけれど、出来るだけ血となり糧となる学びを求めて、己の感受性を耕してゆけたら……と思う。
 要するにみじめなる日々を堪える力を得るために、学びたき物もおおくなってゆくのだと思う。
 最近、家にある南方熊楠の著作とその関連本を読み返し始めている。僕にとって南方熊楠は、若かりし日々の勉強に対する憧れを象徴する存在だったのだ。~ハレルヤ!