もう二十年以上も前の話だよ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 夢を見た。

「もう二十年以上も前の話だよ」
 と偉大なる天才科学者にして美食家の大富豪K氏は、ワイングラスを片手に懐かしそうに目を細め、彼の晩餐に招かれた僕に静かに語り始めた。
 しかしその話は倫理にもとる、あまりにも酷い話であった。
 かつてK氏が研究以外に生き甲斐のない、冴えない陰気な大学生であった頃、ある美しい少女に一目惚れをしたという。K氏は暫くの間、彼女への恋心で、研究に対しても心ここにあらずで散々な失敗続き。で、散々思い煩った挙げ句、その気持ちを思いきって彼女に告白したという。
 しかし年がら年中研究室に隠って、一体なにをやっているかも知れぬ当時の陰鬱なK氏に快活な少女が心靡く筈もなく、K氏は少女からあっさり振られてしまったのだそうだ。
 K氏はいたく傷ついた。そして傷ついたK氏の心の中で、少女への愛情はあっさり憎しみへと反転してしまった。
 怒りと憎しみの塊となったK氏は、自分の思いを受け入れてくれなかったその少女を研究室に拉致。そして全身麻酔で眠らせた彼女の頭から、なんと脳を摘出。更にその脳を、あろうことか猿の頭に移植してしまったというのだ。
 その話を聞かされて、僕は胸にむかつきを覚え、フォークで口に運びかけていたステーキの切れ端を、そっと皿に戻した。
「……で、その猿に脳を移植された彼女は、その後どうなったの?」
 本当の話か、或は僕をからかう為に出鱈目を話しているのか、どちらにしても、せっかく美味しく料理を戴いている時に、飯が不味くなるような話を聞かせやがって……と内心うんざりしながらも、話の相づち代わりに僕はそう訊ねた。実際そのステーキは最高に美味であった。肉それ自体も極上の霜降り牛で凄く美味しかったけれど、更に美味しく感じられたのは、その上に掛かっているソース。味に若干癖があり、見た目も黒ずんでいてあまり良くないので、人によって好き嫌いは別れそうな気もする。しかし僕の舌にはその濃厚ソースはとても相性の合う味であった。ステーキとの相性もバッチリのように思えた。
「うん?」と僕の問いにK氏は頬張っていた肉を呑み込みながら言う。「……あぁその猿ならそれ以来、この屋敷でぼくのペットとしてずっと飼われていたのだけどね、あまり反抗的な態度ばかり取るから、今朝、つい衝動的に殺してしまったよ……」
 K氏はそこで口を閉ざし、僕の前に置かれたステーキの皿に、ちらっと目を落とした。それから再び僕に顔を向けて、にっこり微笑んだ。
「ところで、そのステーキどう? なかなか旨いでしょう」
「えぇ、とても」と僕は素直に認める。「肉自体も最高だけど、上に掛かっているソースもまた絶品だよね」
 僕は手放しで褒め称えて、さっき口に運びかけて皿に戻した肉の切れ端を、再びフォークで口に運び、頬張った。一口噛むだけで、得も言われぬ至福が口中に拡がる。
「それは良かった」とK氏も僕と同じソースの掛かったステーキを満足そうに頬張りながら目を細めた。「いや、実はこのソース、今朝がた殺した猿の脳みそを、試しに濾して作ってみたのだけど、いや、我ながら上手くいったと思うよ。まさかここまで、まろやかさとこくが同居した良い味になるとは……」
 ……?……?……
 ……!
 そのK氏の説明に、喉元まで嘔吐感が込み上げて来たのは言うまでもない。僕は咄嗟に口を押さえて、慌てて椅子から立ち上がった。そしてトイレにそのまま直行した。

 ……という夢を見た。

(二十代前半の頃に綴っていた夢日記より抜粋、改稿)。