日本人のTwitter好きは「異状」? | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 Twitterのタイムライン眺めていたら、「日本人のTwitter好きは『異状』」という見出しでリンクの貼られたツイートが流れて来た。
 些か興味を覚えてリンク先の記事を読んでみれば、日本が世界的に見ても圧倒的にTwitterユーザーが多く、その活用法も実に多種多様な現状について綴られていた。
 例の「バルス」祭とかも含めて、日本人のTwitterを利用した遊び方はイマジネーションに満ちていて、Twitterの可能性を牽引して来たのは間違いなく日本人ユーザーなのだそうだ。
 そういう次第で今後Twitterの開発拠点が日本に置かれる事になったという、結構これが苦笑を禁じ得ない記事内容だったのだけれど、でも妙に納得。実際、日本だけなのだろうな、botも含めて、ここまでTwitterの世界がバラエティに富んで豊かなのは。僕も呟くのは二年前に止めて、このアメブロに引っ越して来たけれど、その後も新たなアカウントを取得して、情報収集ツールとして大いに利用して楽しませて貰っている。興味を感じるアカウントをあれこれフォローしながら利用していたら、いつの間にかそのフォロー数が550を越えてしまった。呟かなくはなったとて、僕もそこそこコアなユーザーだと思う。
 世界的な実情は知らないけれど、少なくとも日本に関しては安定した人気を定着させていて、今後もTwitterに関しては極端なユーザー離れには至らないような気がする。
 何と言っても短歌に俳句の国である、要するに日本人はこの手のちまちました世界が好きなのは確かな処であるが、もう一つ更に突っ込んで分析してみれば、日本人は、他の国民性に比べても際立って、過ぎ去ってゆく自分の日々を記録に残したい、かけがえのない自分の日常を、その生きた歳月を、あれもこれも切りとってコレクションしたい、という自己愛が強い国民性なのだと思う。
 要するに日本人の異状なTwitter好きは、日本人はカメラ好き、と同じ処を発露としていると思う。短歌や俳句の文化が根強く定着したのも、日常メモ的にその形式が利用しやすい、という面も大きかった筈だ。
 そして僕も又、こういう面に関しては、つくづく自分も日本人だと思う。更に言えば、丹念に、そして根気よく、自分の日々の食事を写真に収め続ける先生も又、愛しい程に日本人だ。
 或は百年後、140文字の世界は短歌や俳句に続く日本の伝統的な文芸として、この地にしっかり根づいているかも知れない。