佐野さんを憐れむ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 ここまで吊し上げられると流石にちょっと可哀想になってくるな。
 いや、東京五輪エンブレム騒動の佐野研二郎さん。去年のお騒がせ三羽がらす(佐村河内さん・小保方さん・野々村号泣議員)に佐野氏も仲間入り……みたいなおちょくられ方をしているのをネットでよく見かけるが、去年の三羽がらすに比べて佐野さんの行為は、結果与えた損害の大きさは別として、それ自体はさほど罪のないもののように思える。だって本人がパクっている事に無自覚に自分の作品に流用してしまうクリエイターなんて今どき吐いて捨てる程いるでしょ? 東京五輪エンブレムに自作が選ばれた光栄に喜んだのも束の間、まさかそれを機に、今まで順風満帆に築き上げて来た自分のキャリアを根底から否定される憂き目に遭うとは、佐野さん本人も思いも寄らなかった事だろう。
 こんな事なら五輪エンブレムなんて……と今ごろ歯噛みしているであろう佐野さんの苦々しい心中は察してあまりある。
 まぁ正直言うと、僕も流用したアイディアを本人の表現として血肉化できていない佐野さんのパクリエイター的な仕事には感心しない意見だけれど、しかしこの辺あまり不慣用になり過ぎると表現のダイナミズムが奪われてしまう危惧も感じてしまう。以前ベックが、「今は権利関係が厳しくて、アルバム『ODELAY』で使用したような贅沢なサンプリングは出来なくなってしまった…」というニュアンスの事をインタビューでボヤいていたが、表現の新たな可能性としてせっかく台頭して来た新たなジャンルが、権利関係の煩わしさやオリジナリティに固執する世間のバッシングに萎縮して、その可能性を狭められてしまった現状はあまりに惜しい気がするのだ。
 佐野さんが駄目だなって思うのは、佐野さんの作品の元ネタと思われる作品と比較して、どれも皆、元ネタ作品の方が圧倒的に優れていると思えてしまう処だと思う。しかし佐野さんと同じ手法で洗練された作品を生み出している優れたクリエイターはきっとたくさんいるのだろうし、今回の件で、そういうクリエイターさん達のイマジネーションが萎縮しない事を願うばかりだ。
 で、佐野さんの今回の騒動に関しては、人間って、基本的には悪意に満ちた残酷な生き物なのだよな……って改めて思う、つくづく思う。ひさびさの生け贄だものね、佐野さんか、或は佐野さんの家族がバッシングに堪え兼ねて自殺する迄とことん追い詰めなければね……という世間の集合意識の残酷な本音がネット越しに垣間見られるようで、些かやりきれなさが募る。その残酷な世間の悪意に自分も幾ばくかは加担しているような後ろめたさも含めて、どうにもやりきれなさが募るのだ。
 でも一つだけ付け加えておくと佐野さん、「人間として耐えられない」のは貴方より寧ろ僕の日々であり、考えてみれば今日この頃に始まった話ではなく、ずっと、「人間として耐えられない」人生だった。