復活おめでとうございます。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 先生の飯ブログが復活している。復活最初のメニューがカレーライスって、まるで裟婆に出た直後の受刑者が、その辺の店に飛び込んで、まず最初に食べる一品のようにも思うけれど、既に退院して自宅療養していたのだから、その辺ちょっとニュアンスは違うか。それによくよく考えたら、受刑者が出所後まず真っ先に食べる飯のイメージって、カレーライスではなくラーメンだったりするよね。『幸福の黄色いハンカチ』の中で、出所直後の健さんが、その辺の小汚ない定食屋で麦酒と味噌ラーメンを注文して、欲望の飢えに震えつつ飲み且つ喰らうシーンは実に印象に残っている。長期の刑を終えて出所した受刑者は、塀の中で恋い焦がれた飯を前にすると、あんな風に歓喜に全身が打ち震えるものなのだろうな……と思わせる妙な説得力を感じさせたものだ。
 だけどアンチ健さん派に言わせれば、不器用ゆえに絶食して、極限まで空腹の状態で挑んだというあのシーンも、「あざとい…」とか、「だから高倉健は退屈なのだ……」という批判に繋がるのだろう。しかし健さんが体現する退屈さって、不器用ゆえに世の中からほんの少しだけ落ちこぼれたりずれたりした日常を生きる、基本的には害がなく大人しい市井の人が、その報われぬ日常の中で、普段歯を食いしばって堪えている退屈さを象徴しているかのようで、僕も健さんが退屈だという批判を否定し切る事は出来ないまでも、少なくとも僕は、健さんから感じる退屈さには、いつも切ない共感の念を覚えてしまう。
 いや、なぜ今更ムキになって健さんを擁護しているかというと、健さんが亡くなった時、ほぼ同時期に亡くなった菅原文太さんと比較して、文太さんを持ち上げて健さんを貶す事で、あたかも自分がセンスの良い映画鑑賞家である事をひけらかすような言いぐさが、やたらネットで目について、もちろん文太さんのギラついた魅力は十分に認めつつ、そのアグレッシブさとは対極のイメージを全うした健さんを比較して否定するのは、それはちょっと筋違いだろ……と大いに不服に思っていて、機会があったら是非その辺を反論してみたい、と思っていたので、幸福の黄色いハンカチの話題から一気に話が横滑りしてしまいました。
 なんだか健さんの話題のついでみたいになってしまったけれど、先生、復活おめでとうございます。また体調不良がぶり返しては元も子もないので、とりあえずスロースタートで、身体と相談しながらボチボチお願いします。
 ちなみに僕が出所後まず最初に選ぶのはファミチキとエビス麦酒のチョイスかな。本当はケンタッキーフライドチキンがいいのだけれど、ケンタッキーに漂うちょっとリッチな一家団欒の雰囲気より、孤独な前科者に相応しいのは安価で手頃なコンビニチキンの方だろう……という結論に達してファミチキ。
 それならエビスも贅沢だろ……って? いや、長いお勤めを終えて最初に飲む麦酒だぜ、それくらいの味わいには溺れさせてよ(…完全に妄想の中で一人遊びを始めているな)。