吊るされたナッツ姫を憐れむ。 | 春田蘭丸のブログ

春田蘭丸のブログ

願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 去年のセウォル号沈没騒動の時にも思ったけれど、韓国人の血は、やっぱり濃い。濃すぎる。今回なんて、これ、殆ど魔女狩りじゃねーか。いや、例のナッツ姫の件ね。一審での実刑が覆されて、二審は執行猶予。妥当というか、当然の判決だと思うけれど、韓国世論の常軌を逸した怒り未だ醒めやらず。更に輪を掛けてマスコミが煽ること煽る事。あんた達、どれだけ怨(はん)の念が強いんだよ。死ぬまで追い詰めないと気が済まねーのか? 今回はぎりぎり正常な機能を果たしたけれど、司法が簡単に世論のヒステリーに同化していたら、法治国家として成り立たねーぞ、おい。
 まぁ財閥の娘だろうが何だろうが、ここまで社会的に制裁を喰らって吊し上げられてしまったら、確実に精神の核は滅ぶ。事件以前の、ある意味とても無邪気で快活だった心は、もう二度と取り戻す事は出来ぬだろう。
 国を上げた悪意と嘲笑に心を凌辱されて、裸で世間の風の中に吊るされた憐れな彼女には、この歌を捧げる、
 ビリー・ホリディ『ストレンジ・フルーツ』。
https://youtu.be/Web007rzSOI
 そう、まさか自分がストレンジ・フルーツとして吊るされる側に廻るとは思いもしなかった事だろう。しかしマリー・アントワネットの例を上げるまでもなく、高貴な存在が一度(ひとたび)地べたに引きずり下ろされた時に世間が投げつける悪意と嘲笑の石つぶては容赦がない。妬みの反動の憎悪は、容易に狂気の域に達してしまうのだ。人種差別の対極に位置するその手の差別は、また味わいの違うストレンジ・フルーツとして風に揺れるのだろう。
 自分の社会的な地位に酔いしれて全能感に捕らわれていた愚かな女が、勘違いした暴走を繰り返した揚げ句、遂に社会的にバッシングを受けた。これでもう十分の話で、これって執行猶予どころか、刑事事件として扱われること自体が、寧ろどうかしている事案だと思うけれどな。 
 被害妄想に満ち満ちて、怨みの感情どこまでも尽きる事なく、根源的な部分で心を病んだ多情多感なお隣さん。……まぁ近所つき合いにも、そりゃ頭を悩ませるわな。