自分の機械の操作ミスで同僚の腕を潰しかけた工場での事件を筆頭に、記憶が突然蘇り、「うわっ!」と、あたかもPTSDのような症状に陥る事は度々ある。爆撃機が飛び交う空の下、足元の地雷に怯えながら生きてきたわけでもないのに、それでも、死ぬまで付き纏う重い思い出や苦い記憶は、確実に積み重なってゆくものなのだ。ただ、戦場では一気にその許容量を超えてしまうのだろう。
だから僕は戦争に反対する。素朴な意見になってしまうが、案外これは重要なところで、人間は、常に死と隣り合わせの過酷な体験を、精神を崩壊させる事なく潜り抜けられるほど強くはないのだ。
誰もが短く果敢無いその一生の中で、脆く壊れやすい己の心を育んでゆく権利がある。いや、平和で文化的な日常の中で、己の心を育んでゆくのが、或は人間だれしもに貸せられた義務なのかもしれない。