踊らされた日々を懐かしむ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 あまりにもわかりやすい例を上げるとすればジョン・レノン。生前に彼の遺した音楽を、いま純粋に音楽の良し悪しのみで評価するのは至って困難だろう。そこにはどうしてもジョン・レノン物語が付加価値として色濃く付き纏う。逆にそういう物語を一切排除して、あくまで音楽のみで評価しよう、と主張すること自体どだい無理があるし無意味だと思う。
 今回の佐村河内守騒動で、佐村河内が紡いだ物語に踊らされた連中を批判し嘲笑する意見が囂しいが、それを言うなら私も十代の頃、夢中で聴いていたロックに相当踊らされた一人だ。しかし私は踊らされたことを悔いても恥じてもいない。一番多感だった頃に、思い入れのあるミュージシャンに幻想を抱きながらその表現に接していた時間は、私の貧しい人生の中では最も満ち足りた有意義な時間だったと思う。
 十代の日々にザ・スミスのバンドメンバーの愛憎劇に思いを馳せながら耳傾けたモリシーの歌声は、もう抜き去り難く、私の人間性の核に染み込んでいる。