先生は僕のアカウントの存在に或いは気づいていたのだろうか?…… | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 ずっと気になっている事がある。敬愛する憧れの先生が実名でアマゾンレビューに投稿を書き込んでいた件だ。その投稿日をチェックすると私がツイッターやめる宣言と共にツイッターやめた日のちょうど一ヶ月後になっているんだよね。で、先生がレビュー対象としてピックアップしていたのが現代版ワープロ機械みたいな事務機器。先生は、「余計な機能がなくキーボードの安定性もよく、書く事に集中できます」と、その機械を褒め、「書く事が好きな人にはお勧めの逸品です」と、そのレビューを締め括っているのだが、これって、「140文字の制限に縛られない、もっと長い文章を書いてみたい欲が出てきた」とツイッターのアカウントに最後に私が呟いた内容に対する何らかのメッセージが込められている…と考えるのは自意識過剰で勘繰り過ぎ、という奴なのだろうか?
 しかし今にして思えば、先生が私のツイッターのアカウントに気づいていなかった、と考える方が寧ろ不自然のような気もするのだ。
 もしかして先生は、私のアカウントの存在に気づいていたのではないだろうか? 私が先生への恋情を繰り返し呟いていたあのアカウントの存在に……。
 だって冷静に考えれば、幾ら数年前に呟き一つ落としたきり放置されたアカウントとて、匿名ではなく、先生の実名が掲げられたアカウント。その後まったく利用せず打ち捨ててあったとて、実名で登録されたアカウントを完全に忘れ去るのは逆に困難だろう。そしてそのアカウントに新たにフォローが付いている事に気づいたら、数年前に一回呟きを落としたきり放ったらかしの自分のアカウントに、今更どんな相手からフォローされたのだろう…と気になるのが心情だよね。
 そしてそのアカウントをチェックしてみれば、そこには自分への恋情を日夜に渡りぶつぶつ呟く、誰とも知れぬ男の存在を発見するのだ。……
 まぁこれもあくまでも憶測の一つであり、その真相はわからない。そして今となっては真相不明のままでも構わないのだが、温厚で寛容な人柄が感じられた先生の事だ、私のアカウントの存在に気づいていたけれど、「困ったものだ…」と苦笑混じりに見逃してくれていた…という可能性はある。
 そしてもしも私がツイッターをやめたちょうど一ヶ月後に先生が書かれたアマゾンレビューの中に、ツイッターを去っていった私へのさりげないエールが仕込まれているのだとしたら……
 やっぱり先生は茶目っ気があって粋な方だよね。
 そして、ありがとう。