こういう日課って重くないですか鹿丸さん? | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 特に面白かったり為になるツイートを連発している訳でもない。しかし妙に好感が持てるアカウントがツイッターにある。私がツイッターを始めた当初に見つけたアカウントで、鹿丸というハンドルネームを使っている方だ。鹿丸さんのアカウントは、ツイッターに呟きを落とさなくなって以降も毎日チェックしているので、もう一年と数カ月ほどの馴染みとなるだろうか。しかし馴染みといっても、鹿丸さんの事を実際フォローしているわけではない。メンションのやり取りを交わした事もないので、鹿丸さんは私の存在を知らない筈である。私が一方的に親しみを覚えて、勝手に毎日アカウントを覗いている、只それだけの相手である。
 あ、言っておくけど鹿丸さんは男だから、しかも四十五歳の中年のおっさんだから、変な下心に股間を疼かせながら覗いているわけではないよ。なんというか、どんな面倒事も飄々と受け流しながら泰然自若と毎日を過ごされているような懐の深い人柄がアカウントから偲ばれて、こういう自分のセンスをしっかり確立していて自然に人を惹きつける魅力を持った大人(たいじん)に俺もなりたかったなぁ…という一種の憧憬みたいな気持ちを抱きながら覗いている。ここまでは公表するけど、この先は、ヒ・ミ・ツ…とツイッターとプライベートの間にきっちり線を引かれている方なので、何の商売をされているかは窺い知れぬが、奈良に在住で自営で店を経営されている人みたいだ。飛鳥ロマンが息づく地で、ツイッターを息抜き感覚でバランスよく楽しみながらマイペースで店を切り盛りしている…毎日のツイート内容から、そんな悠々自適な彼の日常に勝手に思いを馳せて、いいなぁ、と思う。自分より幸せそうな暮らしをしている相手に対する嫉みそねみの情が激しい私が、不思議と鹿丸さんには悪意の情は湧かず、心底から、いいなぁ、と思えてしまう。まさに人徳だと思う。特に笑いに走っているわけでもないのに、知的センスを兼ね備えた人柄の良さから発露されるツイートの数々は、読んでいて本当に楽しく、心癒されて気持ちも落ち着く。それは、笑いに走ってことごとくスベリ捲くった揚句、メンタルを壊して去っていった不様な四ツ谷わら坪アカウントとはまさに対極の存在だ。
 さて、そんな鹿丸さんの魅力に癒されたいと思うのは私だけではないらしく、温かい灯に惹かれる寂しい夜光虫の如く魂の孤独な連中やメンタルに問題を抱えた連中がそのアカウントには集っている。そうしてその中には好意の表し方を勘違いしているとしか思えない欝陶しい絡み方をしているフォロワーさんも何人か見受けられる。他者に対する度量が極端にちっちゃい私なら、すぐにムカッ腹を立てて喧嘩した揚句、ブロックしてしまうだろう連中だ。しかしそんな思い上がりの激しいリプライに対しても鹿丸さんは独特のセンスで鮮やかに切り返し、結果、ほんわかとしたアカウントの雰囲気を壊す事なく、心を病んだ連中との交流も楽しげに続けていってしまう。どこまで広い心と豊かなセンスの持ち主なのだろう…と毎度の事ながら深く感心させられてしまう。
 そんな鹿丸さんに半年ほど前から新たなフォロワーが付いた。うんこちゃんというハンドルネームを使う明らかなメンヘラ娘だ。鹿丸さんは、起きぬけの挨拶がわりに毎朝必ず、「むくり」というツイートを落とすのだが、その「むくり」に対してうんこちゃん、「ぷにゅ」とか「ふにゅ」とか、「むにゅ」とか「ぱみゅ」とか、毎朝バリエーションを変えてメンションを飛ばしているのだ。まぁ偶になら私も相手できるだろうが、もしも自分が毎朝こういうウザ絡みをされたら…と考えるとそれだけで気が滅入ってしまう。しかし鹿丸さんは、気色悪く甘えかかってくるその小娘のリブライに対して、毎朝必ず、「ぷにゅーる星人だよーん」とか「ふにゅ(冬)のリヴェイラ」とか「崖の上のぷにゅ(ポニョ)」などと切り返して律儀に相手してあげているのだ。しかも飄々と。淡々と。
 よくやるわ…と私などは思ってしまう。毎朝、切り返しの駄洒落を考えるだけでも大変だろうに…と。こういうのって毎朝のお約束みたいになってしまうと凄く重くないですか鹿丸さん? 私がツイッターに呟きを落としていた頃にも一人、妙にセンスが悪くて背筋に悪寒が走るようなメンションを頻繁に送ってくる女性がいて、最初の内は律儀に私も返事を送っていたのだが、私よりも年上の中年女の筈なのにオタクアニメのキャラクターみたいな気色悪さと妙に堪に障るデリカシーのなさが同居したメンションの数々に辟易し、「申し訳ありませんが…」と相手をリムーブしてしまった事がある。しかし相手に悪意がないのは承知していたので、好意を寄せてくれている女性を生理的に受け付けぬという理由のみでリムーブしてしまう自分の心の狭さに対して今度は自己嫌悪が募ってきてしまい、「ツイッターは疲れる。俺にはとても続けられない」という結論に達して、ツイッターに呟きを落とす行為をやめる事にしたのだ。しかし本当は鹿丸さんみたいに他者に対してどこまでも寛容な心を持ち合わせて、日常もSNSの世界も飄々と楽しめてしまう、そんな、人から愛される気立てのよい度量が欲しかった…と心からそう思う。
 要するに鹿丸さんアカウントは、私がツイッターに参加していた頃に、こういうアカウントを育成したいな…と漠然と思い描いた理想形を体言したアカウントなのだと思う。
 …ま、鹿丸さんになれない俺は正解だったけれどね、ツイッターやめて。