2011年3月11日…

 

金曜日のことでした。

 

当時、中学3年生で卒業式を数日後に控えていた僕は、いつもの通りに朝、学校へ行き、卒業証書授与の練習をして、給食を食べ…

 

14時46分。

 

東日本大震災が発生しました。

 

その時、職員室で掃除をしていた僕は、ひざまずいて床の雑巾がけをしていたのですが、突然、乗り物酔いのような吐き気と頭がくらくらしたのでなんかおかしいと…

 

先生や同級生が「地震だ…!」と呟いたので、ふと顔を上げると、先生方の木製の出欠札が左右に揺れているのを見て、これは地震だなと認識しました。

 

私は、偶然職員室の掃除を担当していたので、そこにいた先生がテレビを点けてくれ、地震速報を見ていました。

 

長野県北信地方は、震度3…

 

ここでの、震度3ということは、震源地はそう遠くないのかなと思っていました。

 

ところが、テレビのニュースをよく見てみると、震源地は東北地方三陸沖と字幕で出ていました…

三陸地方と言えば、中学校の地理の教科書にも掲載され授業でも習ったところでもあるので、どのようなところかというのはよく知っていました。

 

『これは…えらいことにるかもしれない…、ひょっとしたら津波が来るかもれないな…』被害規模が想定もできなかった、顔が真っ青になったのを今でも覚えています。

 

教頭先生が、一斉放送で校舎の窓が割れているかどうか確認するようにと放送していたこと。先生方が、生徒の安全確認に奔走していたことがいまでも目に焼き付いています。

 

帰りの短学活の時もテレビを点けっぱなしにして、震災の状況の推移をクラスの皆で見ていました…

 

それから下校して家に着いたら、すぐにテレビを点け津波の状況を見ていました…

その刻々と変る状況に、言葉を失いました。

まさか、ここまでの津波が来ること、かなりの被害が拡大したこと…とても、想像もしていませんでした。

 

言い訳になるかもしれませんが、『想定外』そのものでした。

 

震災から数日後の卒業式に引き続いて行われた、離任式の場で母校を去る先生方は、餞の挨拶で「東日本大震災」のことに触れ、「他人の役に立つ人に…」「当たり前に生活出来ていること、そのことに感謝するように」と。

 

「当たり前の生活が送れていることに感謝すること」このことを肝に銘じ、きょう3月11日、不運にしてこの震災により亡くなられた方、様々な被害を被られた方々に想いを馳せたいと思います…