宿題をしない、ご飯を食べない、片付けをしない、子どもを怒るシーンは子育てをしていると毎日のようにあります。

 

時間がない、疲れている時はついついきつい口調で怒ってしまうこともたびたび・・・

 

私には中学生になる娘がいますが、食べっぱなし、脱ぎっぱなし、散らかしっぱなしでイライラしてしまいます。

 

お小言がヒートアップしてしまうとき、つとめて思い出しているのが次の言葉。

 

「怒られて子供が学ぶことは、思い通りにならないことがあったら怒ればよいということ」

 

目からうろこでした。

 

子どもに教育をしているつもりであれやこれやと言う言葉も、伝え方を間違えると全く意図していないことを子供が学習してしまいます。

 

子どもは「怒られたくない」という思いから「ばれずにやればよい」とか「隠し通せばよい」と親の前でだけ良い返事をして実際は違う行動をとるようになります。

 

また、自分が思い通りにならないことがあると怒るようになります。

 

怒ることで相手をコントロールすることを学んだからです。

 

子育て、教育、支援、良かれと思って一生懸命相手に伝えていることで、伝わるのは言葉ではなく自分の深層心理にある相手に「こうなってほしい」「こうあるべき」とい思いや相手をコントロールしたいというエゴです。

 

エゴによって人をコントロールする手段として「怒り」を使うのが効果的と子供は学習してしまうのです。

 

根底にいくら愛情があり、本人のためにと躍起になって伝えても、相手を変化させようと思う時点でそれはエゴになって子供に伝わってしまいます。

 

あくまでも親にできることは寄り添い、本人が気づくお手伝いをするだけ。

 

よく虐待は親から子へ連鎖する、というのも虐待されて「親は教育と称して子供を殴るものだ」と学んでしまうからでしょう。

 

子どもが言うことを聞かなかったら殴るという家庭で育った人は、大人になって暴力で恋人や家族を支配しようとするかもしれません。

 

言葉の暴力も同じで、「なんでできないんだ、人として間違っている」など人間否定のような言葉を浴びせられた人はモラハラ、パワハラをするようになるかもしれません。

 

反対にいいところをほめられて育った人は、人のいいところを見て付き合うので良い人間関係を構築しいつもハッピーでしょう。

 

何かを伝えるときは「私は正しい」「あなたは間違っているから正せ」という気持ちで伝えていないか。

感情に任せて怒っていないか。

もし感情に任せて怒ってしまうならそれは相手の問題ではなく自分の問題なので、怒ってしまう前に自分の気持ちと向き合うこと。

 

そして相手に伝えるときは、あくまで「自分の考え」として伝え、

最終的にどう行動するかは本人の選択の自由だということを忘れずに。

 

それでも感情的になってしまうときはありますよね。

そういう時は素直に「ごめんなさい」と伝えること。それでだいたい大丈夫ですから。