私には「心の友」と呼んでいる友人がいます。

 

その人との出会いは私が20代最後の年、離婚してシングルマザーとなり再就職に向けて職業訓練校に通っていた時の代表が彼でした。

 

講師もしており、パソコンの授業を担当していたところに入校していたのが私です。

 

彼にはどうやらちょっと変わった人に見えていたようですが。

 

よく話すようになったきっかけは、開講3日目で同じクラスの女の子が来なくなってしまったとき。

 

もうみんな大人で、年齢層も様々。

もちろんいじめなんてなかったのですが、どうしても人間関係が苦手だったり、おとなしくてみんなの輪に入っていけないという人はいつでもいるようです。

 

本人がそれで納得しているのならばよいのですが、1日目2日目とみんながそれぞれ仲良くなり楽しく話す輪ができ始めても、その女の子は一人でじっと黙ったままでした。

 

時折視線は感じたものの、新しくできた仲間との会話に夢中になっていた私は、「明日声をかけようかな」と思いながら3日目を迎えると彼女は来ませんでした。

 

袖振り合うも多生の縁、と言いますし、金曜日になっても来なかったため、わたしは先生だった彼に、「彼女を気にかけている仲間もいる、登校を待っていると伝えてほしい」とお願いしました。

 

優しい、と思われそうですが、その時の私には憤りもありました。

 

職業訓練校に通うということは、国からの助成、働いている方の税金で通わせてもらっているということ。それに感謝もせず途中で投げ出すなんて、という。

 

聞くところによると、職業訓練校に通う人の中には少なからず人間関係で悩んで仕事を離職し、再就職をめざすも職業訓練校でも人間関係になじめず来なくなってしまう人がいるのだとか。

 

そのころの私は今より頑固で、自分基準で物事を考え、突き進み、そして有限実行するタイプ。「私は信念で生きている」と言ったのが良くも悪くも衝撃的だったらしいです。

(彼は私のいいところも悪いところも知っています笑)

 

卒業するころに、「卒業しても仲良くしてね、卒業したとたん俺のこと切ったりしないでね」と言われたことを忠実に守って今に至ります。

 

卒業してから連絡を取り合うようになり、年に1~2回ご飯を食べに行くようになってから十数年が経ちました。

 

決してべたべた仲良くしたことはなかったのですが、悩み事があると相談に乗ってもらったり、もともと企業のコンサルタントをやっていた彼に仕事のアドバイスをもらったり、とてもお世話になったのです。

 

NPO法人を2つ立ち上げ、地元のため人のためと休みなく働いてきた彼。

 

スピリチュアルとかオカルトが好きなタイプではないのですが、出会ったころから言い続けていることがあります。

 

彼曰く「自分は50歳になったら死ぬ」

 

物心ついたころから漠然とそう思っていたそうです。

 

その50になる年が今年、3月です。

 

その話を初めて聞いたとき、私は彼に「じゃあ50歳になる時に生前葬をしよう。それで、一回死んだつもりで、今度は人のためじゃなく自分のためだけに生きて」と言いました。

 

彼は自分の生き方、人生に満足していると言っていましたが、自分をおろそかにしている節があったので、どうせなら自分のやりたいことをやってから旅立ったらどうかと思ったからです。

 

最近「何がやりたい?」と聞くと、彼から「バンジージャンプ」と返ってきました。

 

私は高所恐怖症で、観覧車すら怖いのですが、そこは意地でも私も一緒に飛んでやろうかなと思っています。

 

生きて、自分のためにやりたいことをやって笑っている姿を見たいので。